メンタルリープ
今日は子供の機嫌がすこぶる悪い。
朝、ベビーカーに乗せてお散歩に出かけたらぐずぐず言い始めた。
普段なら少し歩いているうちに寝るか、遊び始めるので、あまり気にせずスーパーを回り買い物を続けていたら、どんどん泣き方が激しくなり困ってしまった。
ぎゃーぎゃー言う子供を急いで家に連れて帰り、ミルクを飲ませて落ち着いたところで、もうお昼。
あわてて離乳食の準備をして与えた。
スプーンを口に持っていくとのけぞって暴れるので膝に乗せたら更に大泣き。
今日は食べたくないのかと半ば諦めつつ、泣いて大きく開けた口にスプーンを入れると一瞬だけ泣き止んで「あむっ」とおかゆを流し込みまた大泣き。
結局、全力で泣きながら大人の茶碗一杯分を平らげたから笑ってしまった。
なんとなく周期的に機嫌が悪い時期がやってきて、よく食べよく眠る時期があり、その後急にできることが増える時期がくる。
わが子を見ながらそんなサイクルがあるような気がしていた。
そんな話をしていたら、ママ友が「メンタルリープ」という考え方を教えてくれた。
mamano.me
mental(心)+leap(飛躍)を掛け合わせて造られた言葉で、赤ちゃんの心が飛躍的に成長する時期が周期的に訪れるという意味らしい。
予定日から数えた週数で計算して、第5週、第8週…とその周期が訪れ、1段ずつ発達の階段を上っていくとされている。
この時期は心が急激に成長するために、精神状態が不安定になって一時的にぐずりが増えるというのだ。
数えてみたら、今日はちょうどうちの子にとってあるステップに入る初日だった。
ぐずられると外出もままならないし、家事もはかどらず辛いけど、この説によれば一週間くらいで落ち着く、という出口が見えている分気が楽だ。それに、また一つ成長してくれるなら仕方ないか、付き合うか、と思える。
余談になるけれど、お散歩中にぐずってあわてて買い物を済ませようとしていたら、
「おーよく泣いてるなあ、元気やな~」と居合わせたおじいさんが声をかけてくれた。
店内でうるさくして申し訳なくて、小さくなっていたので、ほっとさせられた。
帰り道でもすれ違う人が「泣いちゃったなあ」と子供に笑いかけてくれた。
なんとなく、「子供が泣いているのに買い物を続け、抱きもしないだめな母親にみられるんじゃないか」という罪悪感があって、責められているような気持ちになっていたのに、意外と悪戦苦闘する母親を見る目が温かくてじーんと来た。
孤独感を感じることが多い日々の中で、救われた気がした散歩道だった。
毒にも薬にもならないものはおまじない
子育てをしていると自然派の人に出会う。
というか、今までそんなこだわり持ってたの?!とびっくりするような人まで添加物やら手作りやら言い始める。
別に自分の子供のためを思ってやるぶんには自由だと思うけど、こちらにまで「そんなんで大丈夫なの?」と牙をむくことがあるから厄介だ。
なぜ母になった途端自然派に傾倒し始める人が出てくるのか。
私は子供の頃、アトピーやアレルギーがひどくて入院もした。うちの母は私を連れていった病院で、「お母さんが添加物まみれのものを食べてきたせいだ」とか「化繊の入った服なんて着せるからだ」と散々責められたらしい。
それから母は神経質になって、食べ物にこだわったり高額な漢方を煎じて飲ませたりしだした。アレルギー関係の本もよく読んでいたようだ。
当時、『買ってはいけない』という本が流行っていて、名指しでこの商品にはこういう毒が入っている!と書かれていた。
その本を読んでから母には、市販の洗顔料なんか絶対使うな!とか桃の天然水なんか飲んじゃだめ!とヒートアップした記憶がある。
確かに添加物は避けるに越したことはないし、子供に触れさせるものは安心できるものをと考える気持ちはわかる。
だけど、子供たちは一生無菌室で生きていくわけではない。
私は育児のゴールは、現実の社会で生きていけるようにすることだと思う。栄養の大切さも教えるけど外食の楽しさも教えたい。掃除はするけど、菌にも触れさせる。
先日、高須医院長がガンを公表したときに、自然派(抗がん剤などの治療法に反対の人)が断食とか自然療法を試さないのかと聞いたことがあって
twitter.com断食なんかしたら癌患者は死にます。癌は消耗戦です。栄養の予備力があるから戦えるのです。
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) October 2, 2018
長期戦を戦える癌患者は例外なく断食していません。
毒を薬として使うのが医学です。
毒にも薬にもならないものはおまじないです。 https://t.co/0vjA7QGh70
「毒を薬として使うのが医学です。
毒にも薬にもならないものはおまじないです」
と回答していた。
なんだかとても納得させられた。
アレルギーならステロイドが槍玉にあげられることは多いけど、症状をコントロールする上で必要な場面は絶対ある。
治すには本人や家族の努力は必要だけど、治らないのは努力不足というのは絶対ちがう。
必要十分の関係を履き違えがちだけど。
うつにしろ、アレルギーにしろ、苦しいときは薬とか専門家とかにもっと気軽に頼れる風潮になるといいなと思う。
絶好調が本当の自分じゃない
うつの波、無事に越えた!
朝起きた時の感覚が久々に軽くて「あ、越えた」とはっきりわかった。
それと同時にこの感覚が久々すぎて、実は1週間とか結構長いことうつの渦中にいたんだと気付いた。
長くうつの中にいると、もとの元気だった感覚がわからなくなって、自分は怠けているんじゃないかとか、そんな性格だったんじゃないかとか自罰的になる。
よかった時、悪かった時の感覚を覚えておくのは難しいな。
先日のロシア大会で羽生結弦選手が練習中に負傷した。ショートプログラムが完璧で、これはフリーもすごい演技になりそうだと期待がかかった試合だった。
結果としては優勝したけれど、転倒もあって怪我さえなければ…という感じだった。
試合後のインタビューで羽生選手は
「怪我をしたときは、なんか悪いことしたかな?と考えた」
と、答えていたのが印象的だった。
うつの波が来るたび、何か良くないことをしただろうかと原因を探ってしまう。なんで私ばっかりこんな目にと暗くなる。
昨日も書いたように、原因探しをしても仕方ないのに。あんなにメンタル強そうな羽生結弦選手ですらそういう風に考えるんだと少し意外な感じがした。
でも、その後更に羽生選手は
「右足首の脆さも含めて羽生結弦です。」
と続けた。
私は自分の実力120%の世界で生きたいと思っていた。それには理由がある。
中学生のころ転校をしたら、転校先の学校がとても荒れていた。先生も生徒も不良の顔色を伺う毎日だった。高校も学区が決まっていて近場にしか行けない制度だったが、唯一国立高校だけがどこに住んでいても受験できた。
私は必死に勉強をして、なんとか合格。不良ほど偉かった中学とは180度違って、勉強なり部活なりしっかり努力している人が尊敬される空気で高校生活はとても楽しかった。
だから私は、自分の中で最大限努力してギリギリ手の届く世界に入れば幸せが得られると思うようになった。
大学受験も滑り止めは一切受けず、模試でC判定の大学に絞り合格。
就職先も誰もが知ってる大企業にしか受けない強気の姿勢で乗り切った。
だけど、だんだん限界がきた。
試験は一発勝負、瞬間的に120%の実力が出せればそれでよかった。でも仕事となるとノルマや求められることは日々続く。
障害特性もあり、好調不調の波や得意苦手のムラが大きい私は毎日同じクオリティを維持するのが難しくなって結局仕事は続かなかった。
残念ながら未だにうつの波はちょこちょこやって来る。悔しいけれどその不調も含め、自分の実力なんだ。
また仕事を探すときは羽生選手みたいに、うつも含め私です、と覚悟を決めていければいいな。
溺死しない程度にうつの波をやり過ごす
おとといの夜からうつの波に襲われている。
何をするのも億劫だし、ちょっとしたきっかけで、孤独感や絶望感に襲われる。
私は就職して間もなくうつ病になった。元々規則に細かく古い体質の会社でうつになる人も多い職場だった。それに加え、もともと自閉症スペクトラムの気質のせいで単純なミスを繰り返し、徐々に人間関係も悪化してうつ病を発症。
休職を繰り返した。
一番ひどいときに比べたら大分ましだけど、今でも通院と服薬は続けていて、ときどきガーっと気分が落ち込むことがある。
以前は気分が落ちるほど、原因を考えたり頭を酷使して悩みを深めていく、負のスパイラルだった。
でも、臨床心理士の方に「あー、また来たわと思って受け流すといいよ。原因なんていちいち突き止めなくていいんだよ。」と言ってもらってからジタバタするのを止めるよう心がけている。
うつ病の最中にいるときって、海で溺れかけているときに似ている。
足のつかない深さの海の中でなすすべなく浮かんでいるところに、
出勤時間とか、家事とか、育児とか、やらなきゃいけないことが波のように次々襲ってくる。
その波をなんとかやり過ごすけど、どんどん体力が奪われていって呑み込まれてしまった状態が、寝たきりや引きこもりになったり、自殺してしまったり、なんじゃないかと思う。
溺れないためには、ジタバタもがかないことが大事だ。極力なーんにもせず、考えずただ波に身を任せて過ぎるのを待つしかない。
私はうつがひどいときには、「靴下はかなきゃなあ…」ということだけでも億劫でたまらなくて布団から出られないときがある。弱れば弱るほど、些細なことが大波になってしまう。
今日は精神科の通院が午前中にあって、家を出るという大波が待っていたから、避けられる波は避けることにした。
洗濯物は、乾燥機NGのものは明日することにして洗濯乾燥モードで回してきた。
お昼は帰りに買って支援センターで食べつつ離乳食もレトルトをあげた。
もったいないけど、うつを悪化させるよりましだ。
今日は比較的冷静に対応できているけれど、本当にうつがひどいと楽をするという判断をする余裕さえなくす。
波を越えたら、「こういう症状が出たらこれを止める」「こういう日は献立はこれ」といった風に楽をするための下準備をしておこうと思う。
溺死しないようにしばらくはうつの海を漂う日々が続きそう。
休日だからっていちいち何かしたくない
夫が有給をとったので我が家は3連休。正直へとへとだ。
一応言っておくけど夫はよくやってくれている。
ご飯を作ってくれたり、お風呂掃除したり、子供の相手したり。
不満があるわけじゃない。
ただ、「休日だから何する?」というのがプレッシャーなのだ。
初日は車で大きめな公園に行った。張り切ってパンを焼いて子供も一緒に食べた。
それなりに楽しかったけど、夕方帰ってきて急いで夕飯作って洗濯物取り込んで、子供をお風呂にいれて(夫が入れてくれて、私は服着せたり歯磨いたりの担当)…疲れて自分のお風呂省略したくなった。
次の日もいいお天気。そして最終日も。
家にいるのがなんとなくもったいない気がしたし、家にいると次々と発生する家事と子の世話に追われるので、外に出た。
でもそんなに毎日まいにちやりたいことなんて本当はない。お金だって限りがあるし子連れでいけるところも限られる。
日々家事育児ばかりで家にいることに不満を言っているんだから、休日出かけたい先くらいぽんぽん出てくるように考えとけよと自分にイライラするけど。
正直そんなこと考える余裕がない。
仕事を辞めてから、「今日は何しようかな」と考える日々で、それが辛い。
家事育児で体が空くことはないけど、単調な作業ばかりで頭は退屈だ。
心はリフレッシュを求めているのに体力はなくてうまく発散できない。
リフレッシュの方法を何か見つけなくては。
夜スマホをやめられるか問題
発達系の人って依存になりやすい気がする。
以前書いた過集中の話と似ていて、どっぷり没頭してしまうからだ。
それと、対人関係が苦手だったり、人より刺激に敏感だったりでストレスを溜めやすいことも原因だと思う。
最近困っているのはスマホ依存だ。
私は朝がとても弱い。先に子供が起きだすから無理やり起きている。
夜は22時台には布団に入っているから寝不足というわけではないけど、いかんせん眠りの質が悪い。
歯がボロボロ抜ける夢とか、子どもから目を離して怪我をさせる夢とか、しょっちゅう悪夢を見るし、月に何度か金縛りにもあう。
起きる時には疲れてしょうがなくて、首肩がガチガチだ。
夜布団の中でスマホをいじり続けてしまうせいもきっとある。
ストレスや疲れが溜まって、不安感や焦燥感が増すとますます検索魔になる悪循環だ。
そんなわけで夜スマホ対策をすることにした。
ルールはシンプルに、
何があっても21時以降スマホを見ない
これだけ。
まだまだ依存は抜けきらなくて布団に入ると、スマホで検索したい欲にかられる。
昨日の夜も寝る直前までフィギュアのロシア杯を見ていたから
「フリップとルッツってどうやって見分けるんだっけ」と急に気になって仕方なくなった。
それから、なぜか「ほのめかす」ってどう書くんだっけ…?「灰めかす」じゃないし…うわー!気になる!
いっそ起きてパッと調べてから寝た方が健康じゃないか、という誘惑に駆られたけど、「明日の朝覚えていたら調べよう!」と無理やり寝た。
実際にはもっと調べたいことが浮かんでいたはずだけど、今朝覚えていたのはこれだけだった。
しかも寝ている間に「仄めかす」という字は思い出していた。
「夜スマホ禁止ルール」を自分に課してみて、最近スマホを自分の脳の外付けハードディスク扱いしていたんじゃないかというくらい、思い出す力が弱くなっていると感じた。
検索すればすぐ出てくるもんだから、もう調べても調べてもすぐ忘れてしまっている。
何回も同じことを忘れては気になり調べて…ってどう考えても無駄だ。
気になっても調べるほどじゃないことを調べられてしまうのも、やっぱり無駄だ。
ただでさえ、考えなくてもいいことを繰り返しぐるぐるぐるぐる頭の中でこねくり回す癖がある私にとって、こんな無駄なことに頭を使う余裕なんてあるはずない。
こんな感じで、スマホ断ちはスムーズに行きそうにも思えるが、私はまだまだ自分を信用していない。
高校生の頃「モバゲー」が流行ってどハマりしてしまったことがある。
受験勉強の現実逃避も相まって、寝る前ベッドの中で携帯があっつくなっても続けていた。
今考えれば左右におっさんのマスコットを動かして落ちてくるリンゴを拾う、とかめちゃくちゃつまんないゲームなのに一晩中やったりしていた。
さすがに自分でまずいと思い、携帯の充電器を塾の観葉植物の鉢の中に隠しておいて家で充電できないようにしてようやく治った。
そんな前科があるので、戒めをこめてたまにブログに「その後」どうなったか書いていこうと思う。
ちなみにフィギュアスケートのジャンプの見分け方は毎シーズン必ず忘れては調べ直している。
運動神経が悪いから、感覚的に覚えられない。。悲しい。
たぶん来シーズンも調べるんだろうな。
人の区別がつかないからbotに徹する
発達障害の人は感覚が過敏すぎたり、鈍感すぎたりして「ズレてる人」になりがちだと思う。
私の場合、人の細かい区別があまりつかない。
アラサー世代が高校生くらいのときに人気だった女優さんは、がっきーとか、沢尻エリカとか、堀北真希とか、戸田恵梨香とか、結構個性があったはずけどそれすらよくわからなかった。
だから、女子高生にありがちな「テニス部の山田先輩かっこいいよねー」的な会話なんて全然ついていけない。同じ制服着てて、シュッとしてるグループにいたらみんな同じだ。
さらにそこからAKBブームなんか起こったもんだから、見分けのハードルもより一層上がってもうお手上げだった。
でも世間のブームに関心がない子なんて一定数いたし、そういうポジションでなんとかなってきた。だから大して話題についていく努力もしないでのほほんと生きていた。
しかし、母親になって困ってしまったのが他の赤ちゃんの区別がつかないことだ。
支援センターとか育児イベントで出会うママたちはすごい。
うちの子を見て「色白いね〜」とか「顔小さいね」とか絶対褒めてくれる。
確かに言われてみたらそうかもと、こちらが初めて気づくような良い点を、的確に見つけてくれる。
やっぱり親として我が子を褒められるのって嬉しい。
だから相手の子も褒めたいなと思うんだけど、私は赤ちゃんなんてみんな
「ちっちゃいな」「赤ちゃんだな」
くらいの感想しか持ってなかったから、言葉がすらすら出てこなくて焦る。
そこで私はとりあえず赤ちゃんを褒めるボキャブラリーをストックすることにした。
母親同士の褒めあいの会話を聞いてとりあえず記憶。
次誰かに会った時、覚えたフレーズを使ってみる。
英会話番組の今日のキーフレーズを使ってみましょうのコーナーみたいに、とりあえず使えそうな場面をみつけたらすかさず言ってみる。
言えたら「やったー!ネイティヴに通じたー!」みたいな達成感。
そんな感じの努力で拙いながらなんとか褒めあいに参加できている。
気心の知れた友達夫婦に、実は赤ちゃんなんかどの子も同じに見えていること、こんな風にやりすごしていることを正直に言ってみたことがある。
「まるでbotだね」と笑われた。
ちなみに初宮参りを多くこなす神主さんは、とりあえず赤ちゃんを見たら「かわいいですね〜女の子ですか〜?」と両親に声をかけていると聞いたことがある。
たとえ男の子でも、お目めがぱっちりしているとか、女の子に間違われるくらいかわいいと好意的に解釈されるかららしい。
ママ友同士の付き合いって疲れるとよく耳にするけど、案外不快にさせない程度に適当にやっている人もたくさんいるんじゃないかという話でした。