地元の名士だった実家との縁切り
先日、兄弟の結婚式に参列してきました。
私の実家は超田舎で代々商売をしていて、今度結婚した兄弟はその後継ということで、それはそれは盛大な式でした。
久しく会っていなかった、たくさんの親戚の人や商売関係の人たち、近所の人たちと再会しました。
それで感じたのは、私が子供の頃に思っていたよりもみんながとてもいい人たちだということでした。
このブログでは何度か書きましたが、両親と私たち兄弟はもともと地方都市に住んでいて、私が中学生のころに今の実家のある田舎に引っ越し、父方の祖父母と同居することになりました。
東京出身の母は言葉も風習も違う田舎の文化に嫌悪感を抱いたようで、私たちにも「ここの人たちはおかしい。こんな土地に染まってはダメだ」と繰り返してきました。
一方で、代々その土地で商売をしてきた家柄の為、私たち家族は地元でちょっとした有名人でした。
その為、学校でもふらっと立ち寄ったコンビニでも、どこにいっても「〇〇家の人」として扱われました。
大げさに言えば、皇室とか歌舞伎役者の家のような扱いをされていたように感じます。
だから〇〇家の人間として恥を晒さないように常に緊張感がありました。
そんな背景があり、私は大人になるまで無意識のうちに地域の人や親戚たちを「愚かな田舎者」として認識していました。
だから学校の成績では誰にも負けるわけにはいかなかったし、地域のお祭りや冠婚葬祭といったイベントごとにもきちっと着物を着て参加し、「さすが〇〇家の子供だ」と言わせないといけませんでした。
今回の結婚式は、大人になり、自分自身が家庭を持って初めての地元でのイベントでした。
実家と物理的にも心理的にも距離ができて、改めて地域の人たちと関わってみると、拍子抜けするほど温かい人たちばかりだということがわかりました。
そこで初めて、私は親というフィルターを通してしかこの人たちと関わってこなかったんだと気づかされました。
一旦フィルターが外れてしまうと、礼儀を欠き、段取りが悪いのは寧ろ私の実家の方だということがよくわかってきました。
結婚式では数百人の出席者とお祝いに来てくれた近所の人たちを待たせて自分たちが遅刻してきたし(しかも会場は自宅なのに…意味がわかない)、披露宴の仲人の挨拶のあいだ両親だけが居眠りをしていました。
地元の民謡披露のあいだは、みんなが手拍子を打って一緒に唄っているのに、母だけが関係ない話を私にし続けてきました。
私はイライラしながら親たちを嗜めようとしましたが、親戚や近所の人たちがお酒を注ぎに来てくれたり、世間話で場を繋いでくれたり、さりげなく助けてくれました。
そこでようやく、自分たちの家は「名家」とは名ばかりで何一つ満足にできていなかったこと、それを地域の人たちがフォローしてくれていたことを悟りました。
親たちの無作法は自覚がない為、忠告をしてもまったくの無駄で、地域の人たちもそれをよくわかっているようでした。それでも敢えてへりくだって接してくれていたことで商売や地元の秩序を維持してくれていたことを知りました。
そのことに気づいて、私はやっと親と縁を切ることを決意できました。
鬱になり、自分の親が毒親かもしれない、と思い始めて何年も経ちましたが、可哀想な親をなんとかしてあげたい、私が見捨てたら悲しむにちがいない、とどこか踏ん切りがつきませんでした。
私が接し方を変えれば、本当の優しい親に戻ってくれるんじゃないか、愛してもらえるんじゃないか、なんて信じようとしていました。
でもそれは全くの無駄だったと割り切ることができて、今は清々しい気持ちです。
しかし、ようやく親のフィルター抜きで接することのできるようになった近所のおっちゃんや親戚のおばちゃんとは、また会いたい、もっともっと話してみたい、と今回お別れするときに本心から思いました。
しかし実家と疎遠になるということは、自然と地元とも疎遠になるということです。
その点だけは寂しいし、心残りです。
また今回のことで、子供時代の人間関係って親の影響が本当に大きいんだということを強く感じました。
親がまともだったら、地元のことも好きになれたかもしれないし、もっと豊かな子供時代を送れたかもしれない、と思うと悔しいです。
でも今更どうしようもないし、せめて自分の子供にはそんな思いはさせないようにどうやっていけばいいかなぁ…と考えているのでそのこともまた記事にしたいと思います。