頭の中が忙しい

自閉症スペクトラムと付き合いながら今日も育児をがんばる日記

絶好調が本当の自分じゃない

うつの波、無事に越えた!

朝起きた時の感覚が久々に軽くて「あ、越えた」とはっきりわかった。

それと同時にこの感覚が久々すぎて、実は1週間とか結構長いことうつの渦中にいたんだと気付いた。

長くうつの中にいると、もとの元気だった感覚がわからなくなって、自分は怠けているんじゃないかとか、そんな性格だったんじゃないかとか自罰的になる。
よかった時、悪かった時の感覚を覚えておくのは難しいな。


先日のロシア大会で羽生結弦選手が練習中に負傷した。ショートプログラムが完璧で、これはフリーもすごい演技になりそうだと期待がかかった試合だった。

結果としては優勝したけれど、転倒もあって怪我さえなければ…という感じだった。

試合後のインタビューで羽生選手は
「怪我をしたときは、なんか悪いことしたかな?と考えた」
と、答えていたのが印象的だった。

うつの波が来るたび、何か良くないことをしただろうかと原因を探ってしまう。なんで私ばっかりこんな目にと暗くなる。

昨日も書いたように、原因探しをしても仕方ないのに。あんなにメンタル強そうな羽生結弦選手ですらそういう風に考えるんだと少し意外な感じがした。

でも、その後更に羽生選手は
「右足首の脆さも含めて羽生結弦です。」
と続けた。

私は自分の実力120%の世界で生きたいと思っていた。それには理由がある。

中学生のころ転校をしたら、転校先の学校がとても荒れていた。先生も生徒も不良の顔色を伺う毎日だった。高校も学区が決まっていて近場にしか行けない制度だったが、唯一国立高校だけがどこに住んでいても受験できた。
私は必死に勉強をして、なんとか合格。不良ほど偉かった中学とは180度違って、勉強なり部活なりしっかり努力している人が尊敬される空気で高校生活はとても楽しかった。


だから私は、自分の中で最大限努力してギリギリ手の届く世界に入れば幸せが得られると思うようになった。

大学受験も滑り止めは一切受けず、模試でC判定の大学に絞り合格。
就職先も誰もが知ってる大企業にしか受けない強気の姿勢で乗り切った。

だけど、だんだん限界がきた。
試験は一発勝負、瞬間的に120%の実力が出せればそれでよかった。でも仕事となるとノルマや求められることは日々続く。

障害特性もあり、好調不調の波や得意苦手のムラが大きい私は毎日同じクオリティを維持するのが難しくなって結局仕事は続かなかった。

残念ながら未だにうつの波はちょこちょこやって来る。悔しいけれどその不調も含め、自分の実力なんだ。

また仕事を探すときは羽生選手みたいに、うつも含め私です、と覚悟を決めていければいいな。