頭の中が忙しい

自閉症スペクトラムと付き合いながら今日も育児をがんばる日記

退屈は充電完了の合図なのかもしれないという話

子供がインフルエンザにかかりました。幸いごくごく初期に受診できたので、本人は至って元気です。

しかし感染予防のため、5日間は外に出られません。来る日も来る日も子供と引きこもりでさすがに退屈でたまりませんでした。

元気なのに、と思いながら家で長い時間を過ごさざるを得ない経験を、ここ数年私は何度も経験してきました。
とくに数年前にうつになり、症状が悪化していよいよ休職を余儀なくされた時は、とくにそうでした。実際には起き上がることもままならない状態だったのですが、私はそれでも仕事に行きたくてたまりませんでした。

家で休んでいろと言われてもどう過ごしていいのかわからなかったのです。

だから無理に復職してはすぐにダメになったり、リワークプログラムに通い始めたものの午後だけのプログラムにも参加できなかったり、といった日々が2年近くも続きました。

それから認知行動療法などを経て、だんだん自分のコンディションを見つめられるようになりました。それに伴い、休職当初は認識がなかっただけで本当に心身ともにボロボロだったことに気がついていきました。そしてコンディションに合わせて無理をしないことの大切さも学びました。

それと同時に、自分では元気なつもりでも本当のところはどうなんだろう?という自信のなさが常に付きまとうようになりました。リワークプログラムも軌道に乗り、そろそろ社会復帰という段になっても、「フルタイムはやめておくべきなのではないか?」とか「精神障害者に配慮してくれる職場に絞るべきではないか?」と言う迷いが生じました。

うつのせいで思うように仕事ができなくなった頃からかれこれ3〜4年、ひたすら仕事がしたいと強く思ってきたのに、自分で自分をセーブしないといけない、と言う相反する考えに囚われ、まさに板挟み状態でした。

自分で自分の調子を把握する自信がない以上、この先もずっとうつの再発を怖れて自分をセーブしていかなければなりません。思い切り仕事をすることはもう2度とできないんだ、とやるせない気持ちになりました。


そして私は妊娠と主人の転勤をきっかけに一旦専業主婦になりましたが、やはり出産を終えても働きたいという思いは変わりませんでした。だから落ち着いたら仕事を探そう!と思う反面、「仕事を始めたらまたうつになるかもしれない」「それなら育児に専念するべきなのかな?」という迷いが、またもや生じてきました。

しかしこの数日、家に引きこもっていて、うつがひどい時とは全く違った感覚に気がつきました。それは「退屈だ」という感覚です。

今までうつで家にいた時は、食事の買い出し、公共料金の支払い、職場との連絡、などたくさんやるべきことがあるのにうまく身体が動かず、何一つ満足にできませんでした。だから、常に焦燥感が付きまとっていて退屈なんて感じる余裕がなかったのです。

しかし今は掃除洗濯物をし、子供に離乳食をあげ、料理を作り、と一通り家事育児ができた上で「退屈だ」と感じています。
退屈と感じるということはエネルギーが余っている証拠です。長い長い休養期間を経て充電が終わった証なんだと思います。

そして、以前の私は「仕事がしたい」と言う気持ちの裏で常に焦燥感と不安を抱えていました。何もせずに日々が過ぎていく焦り、自分の居場所がなくなる不安、そういった感情から逃げたくて仕事を望んでいたのです。

今もそういう感情がないわけではないですが、「仕事がしたい」と思うのは持て余したエネルギーを仕事で試したい!と言う気持ちが大きいと感じています。

自分のコンディションを正確に把握し続けるのはまだまだ難しいです。しかし、暇な時間を過ごしている時に焦燥感や不安にかられるか、退屈と感じられるか、ということは私にとって大きな指標になりそうです。

退屈と感じられたら、充電完了の合図と見て、自分のやりたいことにもチャレンジしてみようと思います。