抜毛症
母に子供の写真を送った。メリークリスマスのメッセージを添えて、サンタの格好をした子供の写真をLINEで送った。
実は母に連絡するのは少し久しぶりだった。
前回LINEのやり取りをしたとき、母は私の兄弟の結婚生活がうまくいっていなさそう、とお嫁さんの愚痴を交えて言ってきたのだ。
以前なら、空気を読んで母の味方をし、愚痴に便乗し、母以上にお嫁さんをこきおろしていたと思う。
私がお嫁さんの悪口をヒートアップさせると、母が「そんな風に言わないで、お嫁さんも本当はいい子なんだから」と、私をなだめる役に回る。そして「不出来な嫁にも寛大な姑」というポジションを得る。
母が私に「問題」を持ちかけるときはいつもこのパターンだった。
今私は自分の家庭のことで手一杯だし、産後うつの治療中といあこともあって、このパターンにはまるのだけは避けたかった。
だからお嫁さんの愚痴はスルーした。そこから連絡自体避けてきた。
それでも無視したまま年を越すのもなんだかかわいそうな気がして、孫の写真を送ることにしたのだ。
さすがに平和なやりとりになるだろうと期待してLINEを開くと、衝撃の展開が待っていた。
「かわいいね。ところであなたの幼馴染の旦那さんが癌になりました。」
さすがに「あーあ、また言ってるわ」でスルーもできないし、かと言って何かしてあげられるかと言えば正直難しい。ただただ悶々としてしまう話題を投げかけられて戸惑った。
幼馴染の置かれた状況を想像して、胸が苦しくなる。何もしてあげられないモヤモヤに耐えかねて、気づけば洗面台で自分の髪を抜いていた。
私はストレスを抱えると自分の髪を抜いてしまう抜毛症なのだ。
鏡の前に立ち、一心不乱に髪を撫でる。くせ毛だけが蛍光灯に乱反射してキラキラうきあがる。それをぷつっと抜く。抜いた髪を何度も撫でて感触を確かめると、くるくるとカールしていて「不出来な髪」をまた一本取り除けたことに満足する。
そんな作業を1時間以上も繰り返してしまう。
この気持ち悪い癖は、未だに夫にも打ち明けられなくて、夫に悟られないようこっそり夜中にやってしまう。
満足いくまで髪を抜いたあと、抜け毛だらけになった洗面台や排水溝をきれいに掃除して布団に入る頃にはヘトヘトだ。
こんなことは止めたいと思うのに、これに変わるストレスの発散方法も見つけられずなかなかやめられずにいる。
私は母のことをずっとかわいそうだと思っていた。理不尽に暴力を振るう父やわがままで手のつけられない祖母と同居しながら、実家の商売を懸命に支えてきた母にとって一番の味方でありたいと、幼い頃から思って生きてきた。
ときには離婚したらと言うこともあったし、祖母を老人ホームに入れることも勧めた。だけど母は「お母さんが我慢すればいいことだから」と何1つ変えようとしなかった。
だから、母が本当に幸せになるまで私自身も幸せになることは避けようと思って生きた来た。
うつになってそんな生き方に限界を感じ、母とも距離を置こうとした。しかし、母と疎遠になりそうになると「お父さんが重い病気かもしれない」「愛犬が死にそう」と重い話題を持ち出して、私の心を引き寄せようとしてきた。
今回の話も多分同じ心理が働いて持ちかけたのだろう。我が親ながら身勝手さに呆れるけれど、心は強く動揺している。
これまでの私なら、「私が我慢して母に付き合えばすべて丸く収まるんだから」と母に寄り添う道を選んでいたに違いない。
だけど今は幼いわが子を守るために心身の健康を守らなければいけなくなった。だから無理にでも母のLINEはスルーすることに決めた。
そんな葛藤のやり場がなくてついつい自分の髪を抜いてしまう。どうしようもなく恥ずかしくて誰にも言えずにいるけれど、もし夫にばれたら正直に打ち明けよう。
行き場のない辛さを、自分の髪を抜くことで和らげている、そんな行為は誰に迷惑をかけるでもなく仕方のないことなんだから。