頭の中が忙しい

自閉症スペクトラムと付き合いながら今日も育児をがんばる日記

どうでもいいことを覚えている妻となんでも忘れる夫

夫婦間の記憶力の差がとても激しい。

私は誰が何と言ったかとか、どんな服を着ていたとか、遠い親戚の名前の漢字とか、どうでもいいことをよく覚えている。

一方夫は何でもすぐ忘れる。おつかいを頼んでも1、2品は買い忘れるのが当たり前だし、思い出もどんどん忘れていく。
「小学校時代の一番の思い出は?」と言う話題になったときなんか「思い出なんかひとつもない」と言っていた。「俺いつ物心ついたんだろう」と思うほど記憶にないらしい。

このことを友人に話したら、冗談交じりに夫は悟りの境地にいるのではないかと言われた。

友人が言うには、仏教の悟りで目指すのは過去でも未来でもなく「今、ここ」に集中することなのだそうだ。

過去にこだわったり未来に不安を抱いたりするから人間は悩みが尽きない。だから「今」という一点に集中できることが大切だ、と言うのだ。

夫が悟りの境地にいるとはさすがに思えないけれど、確かに精神的にタフだし健康だ。


一方私は、単に記憶力がいいというよりも、過去にしがみつく癖があるように思う。
ちょっとした雑談でも何度も頭の中で反芻しては「あのときああいう言い回しの方が伝わったかも」とか「あのときの話はこう言う意図があったのかも」と考えてしまう。

しがみつくのはネガティヴなことだけではない。旅行に行ったり、ライブにいったり、楽しいイベントの思い出も「ちょうど1週間前のこの時間はあそこにいたのになぁ」とか「明後日であの日から一年も経ってしまう」とか考えて、時間が前に進むのを拒みたくなる。
ずっと「よかった瞬間」にしがみついて離れられなくなるのだ。

過去にこだわるだけではない。
未来にもしがみついている。いつも「将来本当の自分の人生がやってくる。だから今は耐えるとき」という心境で生きていて、楽しいこと、やりたいことは、我慢すればするほど後からたくさんできると思い込んでいる節があるのだ。

そう考えると私はいつも「今の自分」をないがしろにして生きてきてしまったのかもしれない。

夫と過ごしていく中で、過去のことを何度も反芻しなくてもいい思い出が決して消えるわけではない、ということがだんだん実感を伴ってわかってきた。

「今欲しいもの」は今手に入れられるならすぐ手に入れていいし、「今したいこと」もすぐできるならやればいい、という事も学んだ。というか、今やれることからどんどんやっていかないと、本当にやりたいことも欲しいものも手に入らないということを学んだ。

実際、「今の自分の欲求」に素直に行動しようとすると「本当にいいのかな?」という罪悪感がつきまとう。だけど自分の行動パターンを変えるには慣れていくしかないから、少しずつ練習してみている。

それで今日は「欲しい」と思った本を本屋さんですぐに買った。これまでの私なら、メルカリやAmazonでもっと安く売っていないか調べたり、「来月まで待ってそれでも欲しければ買ってもいい」というような条件設定をしたりして、うだうだ悩むうちに結局買えなかったと思う。

ベストな買い方でないかもしれないけれど、思い切って定価で買った分、この本は大切に読めばいいだけなのだ。

小さな一歩だけれど、少し自分を大切にしてあげられた気がする。

こうして一歩一歩進んで、「今の自分」をもう少し大切にしてあげられれば「頭の中が忙しい」という症状も和らいでいくのかもしれない。