たまには遊びたいというよりは大変だねと言われたいだけなんだという話
何年か前にロンドンハーツで、熊田曜子とか千秋とかママタレが出てきて、子持ちの男性芸人のイクメン度を査定するという企画をやっていた。
例えば、ある芸人が「1日子供を連れて外出させて妻に休日をあげる」というエピソードを披露し、「具体的な子供との過ごし方」についてママタレたちが質もする。すると、その芸人は子供服のお店に買い物に行って、「たくさん服を買ってあげて帰ってくる」と答えた。
すると、「ママたちは公園に行ったり、お金をかけずに過ごしているのに」とか「服をかわいさだけで選んでいたけど、洗濯のしやすさとか着せやすさとか、ママたちは色々考えて買っているのにかえって迷惑だ」とか非難轟々だった。
当時子供がいなかった私は「せっかく面倒見てあげているんだから少しくらい感謝したっていいのに」と思ったし「いきなり完璧を求めたら男性だってやる気なくすでしょ」とも思った。
でも今は少し考えが変わった。
昨日、夫に子供を見てもらって初めて買い物に出かけた。時間にして3〜4時間だったけれど、昼と夕方の離乳食と夕飯作りをお願いしたのでかなり負担はあったと思う。
それで帰ってきてから「今日はありがとう、疲れたでしょ?」と夫に言うと「そうでもないよ」と答えた。
疲れないならそれに越したことはないのに、なんかモヤモヤしてしまった。
夫に子供を任せて一人で出かけたのは、家事育児から解放されたかったのもあるけれど、なにより「一人で子供を見ながら家事をするしんどさ」を少しでもわかってほしかった、と言うのが大きかったのだ。
きっとママタレたちがイクメン芸人を非難したのも同じ理由だ。
お金をかけずに子供と全力で向き合いながら、四六時中食事の準備や片付けに追われる大変さ。
買い物にいっても趣味趣向全開で服えらびはできず、洗濯はしやすいか、着せやすいか、という観点から選ばないといけない窮屈さ。
そんな「生活に追われる」感覚を夫にも理解してほしい、という気持ちがイクメンを責める言葉になって現れていたのだと思う。
今日は家族でクリスマスパーティをしようということになって、少し手の込んだ料理をすることにした。
それで私が料理をする間の子供の世話をまたも夫に任せた。キッチン越しに二人の様子は見えたけれど決して手出し口出しはしないことにして、料理に集中させてもらった。
普段から穏やかで楽観的な夫はイライラした姿を私に見せたことはほとんどない。
だけど、オムツを替えた直後に子供がうんちをしたとき、離乳食を食べながら遊び始めたとき、抱っこしていなあと常に泣きわめくようになったとき、「あーもう!」とか「めんどくせー」とかブツブツ言うのが聞こえた。
昨日「疲れてないよ」と言ったのは私に対する優しさ半分、俺にもできたよという強がり半分の言葉だったんだなとわかった。
夫が大変そうにしているのを目の当たりにして、可愛い我が子相手でも疲れるし嫌になるのは私だけじゃないんだと安心したし、少しは気持ちもわかってもらえた感じがして心が穏やかになった。
妻は、夫に対してわかってよ!と思うなら手出し口出しせずに子供を託す勇気を持つこと。
夫は、子供を見てあげてるのに報われないとならないためには「子供を見るって大変だね」と言ってあげること。
それがコツなのかな〜と思った。