頭の中が忙しい

自閉症スペクトラムと付き合いながら今日も育児をがんばる日記

家電を使いこなす

今年の目標3つ目は「家電を使いこなす」です。

昨年は、出産後両家の母に交代で来てもらい家事をしてもらったり、初めて義実家に泊りがけで滞在をしたりしました。親族といえども、案外家事のやり方やかける手間暇の量、こだわりのポイントは全然違っていてカルチャーショックの連続でした。

また、引っ越してきた場所が田舎ということもあり、「古き良き日本のお母さん」とお話しする機会もありました。


こう言った体験を通し、「ありふれた家の普通の暮らし」を維持するためにはどれだけの労力がかかっているかと言うことを痛感しました。

「お母さん」たちが家にいて、一日中片付けをしたり、食事のことを考えたり、常に家のことを気にしながら生活して初めて「普通の家庭」は成り立っています。大袈裟なようですが、私の目には彼女たちが人生をかけて「ありふれた暮らし」を回しているように映りました。

尊敬と感謝を覚えた反面、私はそんな生き方は無理だなと思いました。

どうしてもモチベーションがわかない。家の外でも活躍したい。そういう気持ちが強いことを再確認しました。

そこで、家電を活用してできるだけ家事にかける時間と労力を少なくしていきたいと思ったのです。

最大の目標は食洗機の導入です。
私はアトピーで手のぱっくり割れも頻繁なので、食器洗いがかなり苦痛です。子供がいると次々に食器を使うので終わりが見えないのもモチベーションがわかない要因です。
就職なり収入の確保ができたら真っ先に買いたいものナンバーワン!


次に電子レンジのオート機能を使いこなすこと。

我が家は知人に譲ってもらったヘルシオを使っていますが、ほぼ解凍とあたためとオーブンしか使っていませんでした。
多機能ゆえに繊細な部分があり「余計な機能いらないから黙ってさっさと温めてくれ」と思っていました。
しかし、子供から目が離せない今となっては火加減を気にしなくていい便利家電が非常に魅力的に思えてきて、ホットクックなんかに憧れはじめました。
調べるうちにふと、「ヘルシオでもできることが結構あるのでは?」と思い説明書を初めてちゃんと読みました。
ふかし芋や焼き魚をオート機能で試してみたところ、ガスコンロで自分で作るより断然美味しいのです!
ヘルシオは「良いレンジ」と言うより「自動調理家電」だったんだと初めて気が付きました。
一通りオート機能を使ってみようと思います。

あとはスマートリモコン(子供がリモコンを触りたがるので対策として)にも興味が出てきています。


昨年までは、自分の手でできることはなるべく自分でやるべきだと考えていました。なんとなく「ていねいに暮らしている」感じがして、それが偉いと思っていました。
しかし「ていねいに暮らす」のは一つの趣味で、それが自分の趣味でないなら、合理化できるところはしてもいいと今は思います。

そういうわけで、今年はとことん家電を駆使してスマートに暮らしを回す方法を模索していくつもりです。

抜毛症対策

先月、母親から嫌な連絡があったことをきっかけに抜毛症が続いていました。

今日は精神科の通院日だったので先生に相談したところ、かなり具体的なアドバイスをもらえたので書いておきます。

「お風呂の前にタイマーをセットする」
私は、お風呂のあとのドライヤーや歯磨きのときに、鏡に映る自分の髪にくせ毛が混じっているのをみつけると抜きたくなります。一本抜いてしまうとそれがスイッチになり、とめどなくくせ毛を探しては抜いて…を繰り返しやめられなくなるので、洗面所から2〜3時間出てこられなくなることもザラです。

それでお風呂に入り始めてからドライヤーと歯磨きを完了して洗面所を出るまでの時間を始めから区切ってしまいましょう、というアドバイスをもらいました。
設定時間は1時間です。

3時間を2時間半に、それができたら2時間に、と徐々に減らすのではなく、初めから1時間で一旦区切る練習をした方がよいとのことでした。

また、私の症状は強迫行動に近いもののため「気になりながらも切り上げる」と言うのも大切なポイントだそう。

「自分で管理する」
私は抜毛症のことは夫には打ち明けていません。一緒に生活する以上きちんと話して、協力するのが筋ではないかとずっと悩んでいたのでそのことも先生に相談しました。

しかし意外なことに、先生には「夫に協力してもらうより自分でコントロールするべき」と言われました。なぜなら強迫行動は私自身の内面の問題によるもので、本来私自身がコントロールしていくものだからです。

また時間を区切って夫に声をかけてもらったとしても、抜毛に没頭しているときは生返事だけして止められないこともあり得ます。そういうことが続くと夫には「俺が声かけても意味ないじゃん」と思われるだけです。いくら家族でも強迫行動ははたから見れば意味不明です。それを理解してほしいという新たな課題を生むよりは、自分で折り合いをつける方法を探るしかなさそうです。

(もちろん、洗面所でなにしてるの?と聞かれたら正直に伝えるつもりではいます。)

正直、私は「夫に抜毛症のことを話さないと」と思うと怖くて仕方ありませんでした。だから、協力を仰がず自分で管理していこうとはっきり言ってもらえてすっきりしたのも事実です。

抜毛症が酷くなると、睡眠時間が削られるしなかなか止められない焦燥感もとても強く精神的にもキツイです。また何時間も無理な体勢で鏡を覗き込むので全身のコリも強くなり、身体も冷えるので、体調はどんどん悪化します。

それに意図的に髪を抜いているとだんだん抜け毛が多くなり、部屋がすぐ髪の毛だらけになるので掃除も大変です。

たくさん弊害があるのに止められず、もう15年以上悩んできたのに、具体的な対処法を教えてもらえたのは今日が初めてでした。

もし同じように悩んでいる人がいれば少しでも参考になるように、今後の経過も書いていければと思っています。

脱・医療費貧乏

2019年の目標2つ目は「脱・医療費貧乏」です。

私は月23,000円のお小遣いをもらっていています。しかしその使い道の9割が医療費や健康維持費です。

精神科通院 1,500円×2回
薬代 1,700円×2回
整体 3,000円
鍼灸院 3,500円×3回
合計 19,900円

これにアトピーが悪化したときの皮膚科代が上乗せされるのでほとんどお小遣いが消えてしまいます。

専業主婦で時間だけは有り余っている今、「お金をかけずに過ごすこと」を常に考えて過ごす状態です。

平日はほとんど毎日、公共の子育て支援センターや図書館に行きます。交通費をかけないように歩きだし、ご飯やおやつも弁当箱に残り物を詰めてです。

そんな日々を送っていると「何がしたい」「どこへ行きたい」という欲求もどんどん消えて行く感覚があります。

そこで今年は本当の意味で「自由に使えるお金」を確保していきたいと思っています。

まず医療費ですが、昨年は引越しに伴い病院探しも一からになり、産後うつも加わって通院の頻度が高くなりました。幸い、いい先生に出会えたのでだんだんと通院の頻度は抑えられそうです。
私はうつが酷くなると、身体の緊張が強く出るタイプで整体や鍼灸が欠かせません。こちらも通院と服薬で精神面が落ち着くに従い、徐々に回数を減らせると思います。

まずは月の医療費を15,000円までに抑えることを目標にしていきます。

健康維持のために試したことも、随時ブログで紹介できたらと思います。

もう1つは収入の確保です。子供を保育園に入れられれば就職する予定ですが、無理でも在宅ワークや託児付きの仕事を探すなり、シッターを利用するなり、働く方法を模索してみようと思っています。

働いても保育料やシッター代でマイナス!という局面もあるかもしれませんが、長い目で見たら早く働き始めてキャリアを形成するに越したことはないと思うので、色々足掻くつもりです。

それに仕事をしている時間は少なくとも「お金をかけずに過ごす方法」に頭を悩ませることはないですし。

医療費貧乏を脱した!とする基準を決めるのは難しいですが、「ふるさと納税」ができるようになることを1つの目安にしてみようと思います。

昨年は出産費用がかかったこと、私が専業主婦になったことで、ふるさと納税どころではありませんでした。

※所得によって税率が変わりますが、最大限多く見積もって
(年間の医療費−10万円)×4.5%
をもともとのふるさと納税の上限額から引いた金額がマイナスにならなければ、ふるさと納税をしても損にならないそうです。

今年は「どこにふるさと納税しようかな〜?」なんて夫とワクワク話し合える年にしたいと思います。

それにしても、自由になるお金がないということが、こんなにも視野を狭くし、心に蓋をするとは思いませんでした。

好きな本を買って読む、電車に乗ってでかける、スタバでコーヒーを飲む、そんなささいなことにもいちいちお金はかかります。
そしてそんな小さなことを自分のお金でできたという積み重ねが、自尊心を作っていくんだと思います。

やりたいこととできること

テレビで「林先生が高学歴ニートと対決」という企画をやっていました。

ニートたちが「やりたい仕事ができないなら働きたくない」と主張するのに対し、
林先生は「やりたいこととできること」という話で応戦しました。

それが面白かったので書いておこうと思います。

「やりたいこと」は自分の内面から湧き上がることで絶対的なもののように思われがちですが、実は環境や情報といった外的要因に強く影響されています。

例えば「絶対にゲームを作る仕事がしたい」という欲求も、ゲームが存在しない100年前に生まれていたら持ち得なかったはずです。

「やりたいこと」は偶然に思うことにすぎず、絶対的な基準にしなければならないほどのものではない、と林先生は言います。

人間の好きなこと、快感を得ることは結構シンプルです。「やりたいことさえやれればいい」と思う人もいれば、「競争に勝つことが快感」と思う人もいて、林先生は後者です。

だから戦略的にも、「やりたいこと」にはこだわらず「できること」を徹底的にやり勝つという生き方を選んでいるそうです。

私自身、林先生に価値観が似ています。
どんどん難題に挑み、勝利することが大好きでした。
例えばピアノを習っていた頃、聞いていて好きだったのはショパンの華やかな曲でした。しかし、演奏してみるとどうも相性が悪く、ぼんやりとした仕上がりになります。そこで先生は、私にバッハやリストといった技巧重視のかっちりした曲を勧めました。こちらははっきりいって好きな曲調ではありませんでしたが、相性は抜群でコンクールでも優勝できました。

私は好きな曲より勝てる曲で腕を磨く方が面白く感じていたので、それ以降戦略的に曲選びをするようになりました。

ところで私の今年の目標は「やりたいことをやる勇気を持つ」です。

一見今回の話は目標と矛盾しています。しかし、私が目標とした「やりたいこと」とは「できるしやりたいこと」です。

例えば服を買うとき「この服かわいい!」と思っても「普段すっぴんボサボサで育児してるのに似合わない」と諦めることが多々あります。「やりたいしできること」を言い訳を探してきては諦める、そしていじけた気持ちで過ごす、ということがとても多いのです。


「やりたいこと」の中でもできることはどんどんやっていこう。

それが今年の目標です。

できない理由があるなら、そこでいじけずにその環境を抜け出すとか、ルール変更を試みるとか、とにかくできるように動いてみようと思います。

できることを追求して、自分の生きる道をみつける一年にしていきたいです。

休み下手な自分を変えたい

前回の記事では、2019年の大きな方針として「やりたいことをやる勇気を持つ」ことを掲げました。

これに基づいて2019年の目標を具体的にあげていこうと思います。


まず1つ目は「休養を予定に入れて行動すること」です。

全速力で駆け抜けて、ある日突然ガス欠になりしばらく動けなくなる、という行動パターンは発達障害あるあるな気がします。
実際私は一度集中し始めるとなかなか自分の疲れに気づけず、やりすぎてしまう、という失敗を繰り返してきました。そのせいで、発病から何年も経つのにうつのトンネルから抜け出し切れていません。

それから意図してリフレッシュすることも苦手です。突然「子供を見ててあげるから好きなことしていいよ」と言われてもどうしていいかわからなくなり、結局家事や雑事に追われて過ごすことも多々ありました。

家で1人でのんびりしていると、窓が汚れているから拭かないととか、ランプシェードに埃が溜まっているから掃除しないととか、「ささいだけどやらないといけないこと」がやたらと目に入り休まらないのです。


最近『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』という本を読んでいて、その中で「なぜあなたは「休む」のが下手なのか」という項目がありました。
この中で著者は、完璧な休養という時間をまず確保すること、その時間には家事とか付き合いの飲み会は一切やらずに過ごすことがポイントだと述べています。完璧に何もしなくていい時間を作って初めて心が休まるというわけです。

また、やらないといけないことを後回しにしていては「焦燥感に苛まれながら体は動かない」という状態に陥り、心は全く休まらないとも言っていて本当にその通りだと思いました。

現在主婦で母である私にとって、家は仕事場です。だから本当の意味で心を仕事から切り離すには家を離れ、子供と離れることが必要だと思います。

だから夫に協力してもらいながら、完璧な休養としての時間を確保してみようと思います。やらないと…と気になっていることをばーっと片付けて近くのファミレスでドリンクバーを頼んでだらだらする、とかが現実的かな?

月3回、1回2時間を目安に時間を確保することを目標にします!

定期的に休養をとることで過度に家事育児に没頭した状態をリセットし、心がクリアな状態になって初めて「本当にやりたいこと」が見えてくるはず。

目標の2つ目以降はまた別記事で。

今週のお題「2019年の抱負」

「良いお母さん」になればなるほど世界は小さくなる

あけましておめでとうございます。

年が明けてしまいましたが、ここで2018年を振り返って、今思うこと、今年取り組みたいことを整理しておこうと思います。

2018年は夫の転勤に伴う引越しと出産があり、人生の大きな転換点となる年になりました。

それまでの私の人生を少し振り返ってみようと思います。

高校受験、大学受験と自分がギリギリ手の届く偏差値の学校を志望校にし、滑り止めも受けず、自分を追い込んで努力と根性でそれらを突破してきました。
就職活動でも就職したい企業ランキングで上位に来るような企業ばかりを受け続け、ここでも内定を勝ち取りました。
就職した会社は暗黙の了解で、部署ごとに「格付」があって、ここでも格付上位の部署の配属を勝ち取りました。

そうした私の生き方は、「本番」直前に自分をとことん追い込んで、持ち前の過集中を発揮し、火事場の馬鹿力で乗り切ることの繰り返しでした。

「本番」を乗り切ることがすべてだった私はその後に続く新生活には興味もなく、やる気もありませんでした。だからせっかく掴んだ新しい環境に馴染む努力もせず、「本番」を乗り切った瞬間の興奮をいつまでも懐かしんでいました。そしてその興奮をまた味わいたくて、次の課題を探しては自分を追い込んで挑むという繰り返しでした。

こんな風に、私はゲーム感覚で競争に勝つ喜びを原動力に突き進むように生きていました。そして突き進むべき道は「良い学校」「良い会社」というような、世間の「良い」という評価を基準にしていました。

それでも、競争を勝ち抜いた先にはレベルの高い仲間や先生、上司が待っていて楽しかった。そして選択肢やチャンスが広がった。田舎の小さな町の中学校で同級生たちとスクールカーストを争っていた私の世界はどんどん広がっていった。

だからこの価値観で突き進んできたことに後悔はありませんでした。

昨年の初め、夫に転勤を告げられた時、私は迷わず着いて行こうと決めました。夫に着いて行くのが「いい奥さん」だと思っていたからです。

出産間際だったので、会う人会う人に「大変なときについて行って偉いね」と言われやっぱり着いて行く判断をしてよかったんだと思いました。

無事出産を終え、落ち着いた頃、今後の仕事のことも考えようと思いました。行政の窓口に相談に行ったり、ネットで調べたりするうち、子持ちの転勤族の妻がいかに就職に不利なのかを思い知ることになりました。


古い価値観の「良い奥さん」「良いお母さん」を目指せば目指すほど、キャリアからは遠ざかり、家庭に縛られることに気づきました。

これまで通り世間の「良い」という評価に従って進むと、自分の世界はどんどん狭まるという感覚は、出産前に生きてきた価値観とは正反対でした。

更に、「良いお母さん」になろうとすると「本番」に向けて短期集中で突破するという場面はありません。むしろ自分の力を出しすぎないように抑え、果てしなく続く日常生活を何事もなく同じペースで走り続けられるようにコントロールしていかなくてはなりません。そう言う点でもこれまでとは真逆の生き方を求められていました。

このような激しい価値観の変化に心がついて行かず、産後うつになりました。それでも「良いお母さん」を目指さなければいけないと言う自分への呪いはなかなか解けませんでした。

そんな私に夫が根気強く「本当はどうしたい?」と聞いてくれたことで、必ずしも「良いお母さん」を目指さなくてもいいんだ、と気づくことができました。

世間の「良い」とするものをがむしゃらに追い求めても、自分の幸せは手に入らないとわかったことが、2018年最大の収穫になりました。

自分が良いと思う気持ちに素直になって、進路を決めて行くことは勇気がいります。しかし2019年は自分の心の声をきちんと聞くこと、その声に従う勇気を持つことを目標にします。

長くなったので具体的なことはまた別の記事に。

今年もよろしくお願いします!

お母さんなんだから、外食は諦める?

夫が独身時代、お世話になっていた寮の管理人夫婦に会いに行った。
二人は現在は引退されて田舎暮らしを楽しんでいる。
結婚前から私も度々食事に招いてもらったり、二人が引退するときに引越しを手伝ったりと付き合いがあったのだけど、子供が生まれてからはご無沙汰してしまっていたので顔見せに行っておきたかったのだ。

飛行機の距離ということで、前泊をした。その夜、久しぶりに外食がしたいという私の要望に応えて夫が美味しいお店を調べてくれていた。そこは屋台風の焼鳥店で、私が大好きだったお店に雰囲気もよく似ていた。料理の味もとても美味しかった。

だけど、つかまり立ちをし、目に入るものはなんでも手にしたがる子供を連れての外食はなかなかしんどいものがあった。狭い店内で自由にあそばせるわけにもいかず、おんぶをして食事をすることにした。だけど、3分と持たずグズグズ泣き始めた。

その度に立ち上がって揺すったりあやしたり。店員さんも他のお客さんも優しくて「何ヶ月?」「かわいいね」なんて声をかけてくれたけど、申し訳なくて「うるさくしてすみません。」と平謝りだった。結局最初に頼んだ3品を大急ぎで食べて帰った。

外食をするとしたらファミレスとか、回転寿しとか、ファミリー向けのお店じゃないと楽しめないんだな…と痛感した。

居酒屋なんて行こうと思ったら、夫に子供を見てもらって行くしかないけれど、転勤先の土地にはママ友しかいないからそれもなかなか難しい。職場の人とたまに飲みに行ける夫が羨ましいなぁなんて少し寂しくなった。

それに、子供を産んでからの私は外出するときは真っ先に子供連れでも大丈夫かということが頭をよぎるのに対し、夫は食べたい物やお店の雰囲気を第一条件でお店を決めた。そんなところに子供のことで頭がいっぱいな私との温度差を感じたりもした。

自分がどんどん小さな世界に閉じこめられていく感じがした。

翌日、管理人夫婦と再会した。二人は行きつけの焼肉屋さんに是非私たちを連れて行きたいと言って案内してくれた。通されたお店は真ん中に焼き網があって足元が掘りごたつになっていて、子供が火傷したり落ちたりしないか見張っていないと…と気が重くなった。

だけど、そこは流石に子育て経験者、夫婦はかわるがわる子供の相手をしてくれ、私が子供の世話をしている間は、手際よく肉を注文し焼いてくれたのでスムーズに食べることができた。自分のペースで食事ができるのが本当に久しぶりでありがたかった。

普段二人で生活している老夫婦にとっても、小さな子供は新鮮だったようでちょっとした仕草にもいちいち目を細めて可愛がってくれた。

他人に可愛がられる我が子を見ていると、あぁなんて可愛いんだろう、という気持ちが自然と湧いてきた。

老夫婦とは、夫の仕事の話、二人が若い頃の育児の話、田舎暮らしでみつけた美味しいお店の話、といろいろな話題に花が咲いた。

他人と子育て以外の話ができたのも久しぶりだった。この数ヶ月使っていなかった脳の部分を久しぶりに動かせた感じがした。

今まで私は、自分がどう変われば子育てが上手くいくか、とか、夫にどう説明したら子育ての大変さをわかってもらえるか、という考えに凝り固まって行き詰まりを感じていたような気がする。

だけど、他人にも子供を可愛がってもらうことで、自分のリフレッシュになるし、子供が可愛いという気持ちまで蘇ってくるんだと学んだ。

当初は「親孝行」のつもりで子供を連れて二人に会いに行ったけれど、こちらにとってもいい時間になった。
そしてやっぱり、子育ては1人で抱え込むものじゃない、と思った経験だった。「お母さんなんだから」と勝手にいろんな事を我慢して、諦めて、夫がわかってくれないと拗ねる必要なんてなかったんだや、と気持ちが軽くなった。