頭の中が忙しい

自閉症スペクトラムと付き合いながら今日も育児をがんばる日記

一日中夕飯のことを考えているという話

四六時中夕飯のことを考えている。

夫の帰宅時間に合わせて夕飯を用意するためには、午前中に献立を考えて買い物に行き、子供がお昼寝してくれるように外に遊びに連れて行き、夕方なんとか寝かしつけてようやく調理に取り掛かる、そんな段取りを踏まないと間に合わない。本当に1日かけて夕飯を作っている。


そんな1日の集大成のような夕飯を、夫はテレビを観ながら、iPadで漫画を読みながら、特に感想もなく、ものの10分で食べてしまう。

朝から晩まで働いて、ようやく帰ってきて、ご飯の間くらいぼーっとしたい気持ちはよくわかる。夕飯が終わればお皿も洗ってくれるし、子供のお風呂も待っている。夫にとって夕飯はつかの間の休息時間だから好きな風に過ごしてほしい。そう思ってなるべく小言は言わないようにしてきた。


それでも時々どうしようもなく虚しくなる。

全力でご飯を作って疲れるくらいなら、惣菜を買ったり、手抜きしたりすればいいと思うこともある。

でも、家事育児の日々の中で、料理は唯一達成感がある仕事だ。掃除洗濯はやってもやってもキリがないし、何も考えずに淡々とこなす作業だ。子供の世話だって区切りがない。その点料理は何をどうやって作ろうか自分で考えられるから創造性があるし、明確に完成がある。だから料理は、主婦が充実感を得られる貴重なチャンスだ。

それに私も夫も食べることが大好きだ。日々の食事は日常の中の楽しみだからあんまりないがしろにはしたくない。

それで夫には、料理の感想を言ってほしいとお願いしてみた。

これどうやって作ったの?
このネギおいしいね、どこで買ったの?

ほんの一言感想を言ってもらえるだけで気持ちは全然違う。自分が作った料理に関心を持ってもらえるだけで、家事を一人でやっているという孤独感は大分和らぐ。

夕飯に対しておいしいとかありがとうとか言われないと、主婦は1日の間誰からも褒められたり労われるチャンスがない。仕事だったら、同僚とのちょっとした資料のやりとりでも、お客さんとの会話でも、ありがとうございますとかお疲れ様です、と挨拶代わりに労いの言葉がかけられる。それって何気ないことだけど報われる瞬間なんだな、と外での仕事と主婦とを両方経験した今は思える。

逆に言えば両方を経験するまで、当たり前すぎてわからなかったんだから夫にだって黙って察してくれというのは無理があったんだ。


夕飯の用意は単に料理している数十分だけではなくて、料理にとりかかるまでたくさんの工程を踏んでいること。

料理を完成させることが唯一達成感を得られる瞬間なこと。

そういうことをしっかり伝えると食べる方も少し変わってくれるのかもしれない。