頭の中が忙しい

自閉症スペクトラムと付き合いながら今日も育児をがんばる日記

ポイズンドーター・ホーリーマザー

少し前に湊かなえさんの『ポイズンドーター・ホーリーマザー』を読んだ。
この本は短編集になっており、最後の2話が「ポイズンドーター」「ホーリーマザー」と言う対の話になっている。
この本をとおして「毒親育ちってなんだろう」と考えたので、あらすじを紹介しつつ私なりの考えを書いてみたい。


※ネタバレ注意

「ポイズンドーター」では、弓香という女性が主人公だ。彼女は母子家庭で母親から強い抑圧を感じて育ったが、スカウトされたことをきっかけに上京し女優として活躍している。中学時代から繰り返す酷い頭痛の原因が、母親からのストレスだと気づいてからは帰省せず母親と距離を置いている。しかし33歳の厄年に地元で同窓会が開かれることになり、同じ「毒親育ち」の親友・理穂から熱心に参加しないかと誘いを受ける。理穂に久しぶりに会いたい気持ちもあり、久しぶりに帰郷しようかと悩むが結局母親のことが気に係り欠席の返事をする。そんな折、「毒親」を題材にした取材の依頼を受け、思い切って「毒親育ち」として声を上げることを決意し番組は大きな反響を呼ぶ。弓香が出演に手ごたえを感じていた矢先、元クラスメイトや母親が立て続けに亡くなったという報せが理穂から届く…。

この話では、「毒親」に抑圧されて過ごした日々が、弓香の回想を通してリアルに描かれる。
決して虐待したり、育児放棄していたのではなく、母親は母親なりに弓香を精一杯育てている。母子家庭であることで不自由させないように必死に働きながら、弓香の交友関係や進路、読む本にまで目を配る。自分が、シングルマザーになって苦労した経験から、弓香には同じ過ちを犯さないよう過剰なまでに神経を尖らせているのだ。その一生懸命さが空回りして、弓香にとっては母親が大きなストレスになってしまった。

一方「ホーリーマザー」では、親友・理穂の視点から弓香親子の姿が描かれる。
理穂の視点で語られる弓香の母親は「優しい人」で、決して「毒親」ではない。弓香が「毒親」だと感じたエピソードの数々も、勘違いやすれ違いの末のことにすぎなかったことが、理穂や近所の人たちの視点から明かされていく。さらに、弓香と中学時代に仲がよかったマリアという同級生が、実は母親から売春をさせられていたことが理穂から明かされる。そのことにまったく気がついていなかった弓香に対し、自分のことばかり憐れんで本当の「毒親育ち」だった友人のことにさえ気がつかなかったのかと理穂はあきれてしまう。理穂は、マリアのような「本当の毒親育ち」の人の声がかきけされないよう、弓香のような人が声を上げるべきではなかったと訴える。そして理穂は自分も母親になった今、子供を思うからこそ時に過干渉になってしまう母の気持ちがよくわかるようになった。実母に対して、確かにうっとうしく感じることもあったが、義母との関係なんかに比べたらはるかにましだ。だから、いつまでも毒親だなんて騒ぐ娘こそ「毒娘」ではないか、と締めくくられている。


毒親」との関係のリアルな描写や、その「毒親」から受けた仕打ちの数々が視点を変えると「勘違い」にすぎなかったことが鮮やかに明かされていくストーリー展開は、「イヤミスの女王」と言われる湊かなえさんらしい作品でどんどん読み進めることができた。

ただ、自分が「毒親育ち」だと感じている人にとっては、納得のいかない展開だったのではないかと思う。。
毒親育ち」の人は最後の最後まで「自分の親は本当はいい人なんじゃないか」という希望を持って、あがいてしまうからだ。

私はうつの治療の中で、根本的な原因が母親との関係にあるということにだんだん気がついてきた。しかし最初はなかなか受け入れられなくて、幼い頃のいい思い出を振り返って「やっぱりいいお母さんだった」と思い込もうとしたり、「自分が変わり者だから上手く行かないだけでお母さんはいい人だ」と自分を責めたりした。母と電話したり会ったりするたび、体調を崩すことに気づいてからも「そろそろ大丈夫かも」「次こそ上手くやれる」と、何度も失敗を繰り返してきた。

「優しくていいお母さんじゃなかった」と認めるくらいなら、「自分がおかしいからだ」と思っていた方がましだ。
一見「毒親」に見える行動も「勘違い」や「すれ違い」のせいであって、本当は心から自分のためにやってくれたことなんじゃないか。

そうやって心身ともに限界になるまで、自分の母親を大好きでいようともがいてきた。そうやってもがき続けるうちに、母親に心を支配され、ボロボロになってしまったという現実をようやく認めることができてきた。

だから、ちょっとした勘違いで「毒親育ち」と思い込み、大人になっても苦しみ続けるなんてことはありえないと思うのだ。


※長くなってしまったので続きはまた…