頭の中が忙しい

自閉症スペクトラムと付き合いながら今日も育児をがんばる日記

希死念慮とわが子の誕生

小学校低学年の頃から、なんとなく周囲に溶け込めない、人と違っている、と悩み、自分は発達障害なのではないかなと疑ってきました。

親に相談しようと思ったことも幾度となくありますが、先回りするかのように「あなたは変わっているけど、人より優れた能力があるから堂々としていなさい」と言われ続け、辛い気持ちには蓋をしてきました。

そして学校の成績でトップを維持する、部活の大会で優勝する、ピアノのコンクールで最優秀賞をとる、などと成果を出し続けることでなんとか自分の居場所を確保してきました。

そうやって育つうち、人より優位に立つことで自己肯定感を保つのが癖になりました。

だから、ほんの小さな「失敗」でも私にとっては自分の存在価値の暴落に直結します。常に勝ち続けないといけないので、いつも追い立てられるように生きてきました。そんな生活の中で心身ともに疲弊していき、「一回休みたいな」と思うのですが、私の中では「休み=死」でしかありませんでした。

だから「ちょっと休みたいな」=「ここで死んじゃいたいな」という気持ちが自然と湧き上がるようになりました。

本格的にうつを発症してからは「死にたい」も具体的になり、マンションから飛び降りようと思ったこともありました。たまたまうつの症状が酷すぎて身体が動かず実行に移せなかっただけで、あのとき死んでいてもおかしくなかったなと今でも思います。

うつ治療の中で、ぬぐいきれない希死念慮の根底には、「勝負から降りること=死」という価値観があることを自覚するようになりました。いかにして自己肯定感を上げるかを必死で学ぶ中で、あなたは生きているだけで素晴らしい、というような言葉に何度も出会いました。

成果や根拠がなくても存在するだけで人は尊い、ということは理解はできるものの感覚としてまったくピンときませんでした。

確かにそうかもしれないけど、私は元気になったらまた成果を上げ続けたいとしか思いませんでした。

しかし、転機が訪れます。それはわが子の誕生でした。

妊娠がわかったとき、私は極力夫に似た子が生まれてくればいいなと思いました。私は発達障害アトピーを持って生まれてきて、そのために苦しい思いをたくさんしてきたので、心身ともに元気な夫に似た子に生まれた方がいいと思ったからです。

その思いは陣痛が来ていよいよ生まれる、というときまで変わりませんでした。


無事生まれてきたわが子を助産師さんがすぐに私の横に寝かせて見せてくれました。小さな台に乗せられ、手足をバタバタ動かして大声で泣いているわが子を初めて見たとき、「落っこちないかな?大丈夫かな?」と心配になりました。そしてすぐに「そっか、この子はまだ寝返りもできないから落ちないのか」と思い直しました。

それと同時に、「この子が今できることは泣くことと、手足をバタつかせることだけなんだ。他には何一つできないけど、できることを全てやって全力で生きているんだ」と思うとあまりに健気で愛おしさがこみ上げました。

そして、「五体満足にさえ生まれてくれたらそれでいい、と思っていたけど、例え病気があっても障害があっても、生まれてきてくれただけで十分だ」という気持ちが自然と湧き上がってきました。

私は、育児が大変大変といいながらも親たちがわが子を育てるのは、子供がかわいいからなんだと思っていました。なんだかんだで、子供がかわいくて育児が楽しいからやっていけてるんだろうと思っていました。

だけど、育児にいっぱいいっぱいで楽しむ余裕なんてない時間が大半だし、かわいいと思えないことだってたくさんあります。
それでも、全力で生きようとしている命を目の前にすると、守らなきゃ、と身体が勝手に動くことを出産と育児を経て初めて知りました。

親がわが子を育てるのは、楽しさをくれるからとか、かわいいからとか、そんな理由さえ後付けなんだと思います。

理由がなくても、何かの役に立っていなくても、生きていていいんだと初めて実感を伴って思えました。

出産時にこんな感動を経験した私ですが、やっぱり今でも時々「死んでしまいたい」という気持ちに襲われます。

私の脳には「休みたい」=「死にたい」という間違った思考の経路が根深く残っていて、「死にたい」と思うのはその経路が起こすバグなのかもしれません。

このバグを解消するには、根拠のない自己肯定感を定着させないといけません。だけど自分で自分に「存在しているだけで十分だよ」なんて思うのは正直難しいです。でも子供に対しは自然とそう思えたりします。子育てを通じてそういう気持ちが自分に根付いて、ゆくゆくは自分に対しても跳ね返ってきたらいいなと思います。