頭の中が忙しい

自閉症スペクトラムと付き合いながら今日も育児をがんばる日記

怒りのポイントカード

夫が育児を手伝ってくれると、助かる反面「あーもう」とイライラすることも結構あります。

着替えをお願いしたら真冬なのに薄手のパジャマを着せたり、ギャーギャー泣いている横でスマホゲームをしていたり…

「そんなことも言わないとわからないのか」とがっかりするのが嫌でついつい自分で先回してやってしまうことも多いです。

最近ではママ友たちとも打ち解けてきて、夫の愚痴を言うことも増えました。

私の中ではどうしても許せないくらい腹立たしかったことも、ママ友に話して「旦那さん一生懸命なのはわかるけどそれはないよね〜おかし〜」なんて笑ってくれると、なんだか真剣に怒るほどでもなかったかもと思えてきて心が軽くなります。

そのうち、家で夫が何かやらかしても「このネタ、ママ友に会ったら話そう」と思うようになりました。

でもそういうメンタルで過ごしていると、どんどん「ネタ集め」に走る自分がいることに気づきました。

夫が子供の世話をしているのを見ながら「またなにか失敗するんじゃないか」と目を光らせるようになり、「ほーらまたやった」と言ういじわるな目線で見てしまう…

そしてそれを本人に言うのではなく、ママ友同士でネタにしている限り、夫の育児スキルも上がらず悪循環です。

以前読んだ心屋仁之助さんの本に「怒りのポイントカード」という言葉がありました。

お財布にポイントカードが入っていると、ついついポイントを集めたくて要らないものまで買ってしまったり、そのお店がやたら目に入ったりします。

怒りも同じで、ある人の「ポイントカード」を心に持っていると、その人の嫌なところがいちいち目に入るようになり、怒りのポイントを溜める行動をとってしまいます。
色んな人の「ポイントカード」を持っているとその分ストレスが溜まりやすいので、心の「ポイントカード」はなるべく減らしましょう、という内容でした。

私がやっていることはまさに「夫のポイントカード集め」だったんだと思います。

夫とはなるべく良好な関係でいたいし、夫にも子供とうまく接することができるようになってほしいのに、ポイントカードを作ってしまうのはなぜでしょう。

子供の世話でいっぱいいっぱいな状態で、一から十までやり方を教え、うまくできたらありがとうと言ったり褒めたり、というのが手間だから。

夫の機嫌が悪くなるのが嫌で、なるべく波風立たせないよう文句を控えてしまうから。

そして、同じ親なのに、どうして私が教える立場に回らないといけないんだ、夫にも主体的になって自分で考えてほしい、という怒り根底にあるから。

こういう葛藤を夫にいくら説明しても、きっと完全には理解されないけれど、ママ友ならすごくスムーズにわかってもらえるので、正直ママ友同士愚痴っていた方が楽です。

だからポイントカードをためてしまうんだろうと思います。


どれくらい丁寧に、夫に育児のやり方を伝え、自分の気持ちを伝えるか、というさじ加減は本当に難しいです。
だけど少なくとも、自分の中で「今ポイントカードためてるな」と気づいたら、さっさとカードは破棄して、簡潔に明るく、本人に言うようにしたいなと思っています。

希死念慮とわが子の誕生

小学校低学年の頃から、なんとなく周囲に溶け込めない、人と違っている、と悩み、自分は発達障害なのではないかなと疑ってきました。

親に相談しようと思ったことも幾度となくありますが、先回りするかのように「あなたは変わっているけど、人より優れた能力があるから堂々としていなさい」と言われ続け、辛い気持ちには蓋をしてきました。

そして学校の成績でトップを維持する、部活の大会で優勝する、ピアノのコンクールで最優秀賞をとる、などと成果を出し続けることでなんとか自分の居場所を確保してきました。

そうやって育つうち、人より優位に立つことで自己肯定感を保つのが癖になりました。

だから、ほんの小さな「失敗」でも私にとっては自分の存在価値の暴落に直結します。常に勝ち続けないといけないので、いつも追い立てられるように生きてきました。そんな生活の中で心身ともに疲弊していき、「一回休みたいな」と思うのですが、私の中では「休み=死」でしかありませんでした。

だから「ちょっと休みたいな」=「ここで死んじゃいたいな」という気持ちが自然と湧き上がるようになりました。

本格的にうつを発症してからは「死にたい」も具体的になり、マンションから飛び降りようと思ったこともありました。たまたまうつの症状が酷すぎて身体が動かず実行に移せなかっただけで、あのとき死んでいてもおかしくなかったなと今でも思います。

うつ治療の中で、ぬぐいきれない希死念慮の根底には、「勝負から降りること=死」という価値観があることを自覚するようになりました。いかにして自己肯定感を上げるかを必死で学ぶ中で、あなたは生きているだけで素晴らしい、というような言葉に何度も出会いました。

成果や根拠がなくても存在するだけで人は尊い、ということは理解はできるものの感覚としてまったくピンときませんでした。

確かにそうかもしれないけど、私は元気になったらまた成果を上げ続けたいとしか思いませんでした。

しかし、転機が訪れます。それはわが子の誕生でした。

妊娠がわかったとき、私は極力夫に似た子が生まれてくればいいなと思いました。私は発達障害アトピーを持って生まれてきて、そのために苦しい思いをたくさんしてきたので、心身ともに元気な夫に似た子に生まれた方がいいと思ったからです。

その思いは陣痛が来ていよいよ生まれる、というときまで変わりませんでした。


無事生まれてきたわが子を助産師さんがすぐに私の横に寝かせて見せてくれました。小さな台に乗せられ、手足をバタバタ動かして大声で泣いているわが子を初めて見たとき、「落っこちないかな?大丈夫かな?」と心配になりました。そしてすぐに「そっか、この子はまだ寝返りもできないから落ちないのか」と思い直しました。

それと同時に、「この子が今できることは泣くことと、手足をバタつかせることだけなんだ。他には何一つできないけど、できることを全てやって全力で生きているんだ」と思うとあまりに健気で愛おしさがこみ上げました。

そして、「五体満足にさえ生まれてくれたらそれでいい、と思っていたけど、例え病気があっても障害があっても、生まれてきてくれただけで十分だ」という気持ちが自然と湧き上がってきました。

私は、育児が大変大変といいながらも親たちがわが子を育てるのは、子供がかわいいからなんだと思っていました。なんだかんだで、子供がかわいくて育児が楽しいからやっていけてるんだろうと思っていました。

だけど、育児にいっぱいいっぱいで楽しむ余裕なんてない時間が大半だし、かわいいと思えないことだってたくさんあります。
それでも、全力で生きようとしている命を目の前にすると、守らなきゃ、と身体が勝手に動くことを出産と育児を経て初めて知りました。

親がわが子を育てるのは、楽しさをくれるからとか、かわいいからとか、そんな理由さえ後付けなんだと思います。

理由がなくても、何かの役に立っていなくても、生きていていいんだと初めて実感を伴って思えました。

出産時にこんな感動を経験した私ですが、やっぱり今でも時々「死んでしまいたい」という気持ちに襲われます。

私の脳には「休みたい」=「死にたい」という間違った思考の経路が根深く残っていて、「死にたい」と思うのはその経路が起こすバグなのかもしれません。

このバグを解消するには、根拠のない自己肯定感を定着させないといけません。だけど自分で自分に「存在しているだけで十分だよ」なんて思うのは正直難しいです。でも子供に対しは自然とそう思えたりします。子育てを通じてそういう気持ちが自分に根付いて、ゆくゆくは自分に対しても跳ね返ってきたらいいなと思います。

後追いの終わり

生後10ヶ月にさしかかり、生後8ヶ月頃から激しくなった後追いがひと段落しました。

ひと段落したきっかけはインフルエンザで高熱を出したことだった感じがします。

熱があったときは不機嫌で、いつにも増して私にべったりでしたが、熱が引いて落ち着くと少し様子が変わりました。

食卓に子供を座らせ、離乳食を自分で食べている間、私がキッチンで洗い物をしていても、ときどきこちらをうかがうだけで泣かずに過ごせるようになりました。(とは言っても5分が限界ですが。)


知恵熱といって一瞬高熱を出して落ち着くと赤ちゃんはできることが増えるんだよ〜なんて聞いたことがあるのですが、あながち間違っていないのかもしれません。


また、インフルエンザのために1週間近く子供と引きこもり生活だったのですが、解熱してからは子供自身すごく元気で体力を持て余しぎみでした。

それで家の中でかくれんぼをして遊んでいました。私もハイハイをしながらダイニングテーブルの陰に隠れて「ばぁ!」と顔を出すとゲラゲラ笑って喜んで追いかけてきました。


その遊びに慣れてくると、洗濯物を取りに行くとき、お風呂掃除をしに行くとき、トイレに行くとき、など家の中で少しでも移動するときはハイハイをして、ときどき子供の方を振り返って「わっ!」と脅かしたりするようになりました。するとそれにもニコニコしながらついてきて、子供もとても楽しそうでした。

そんなことを繰り返すうちに、姿が見えなくても私が近くにいる、ということを学んだようです。


それにしても後追いは想像以上にしんどかった。
「トイレにもついてくるよ〜」なんて聞かされていたころは、別に扉を開けておいて勝手についてこさせればいいだろう、くらいに軽く考えていました。

しかし問題は機嫌よくついてきてくれるわけではないということです。少し動こうとしただけでギャーギャー泣かれ、足を掴まれるので、一つ一つの動作でメンタルが削られます。

トイレに連れて行っても個室の中でギャーギャー泣くことも多く、だんだんトイレに行く気もなくなり便秘になり、痔にもなりました。

しかし、夫やたまに遊びに来る子育て経験のない友人には「いつもついて回ってかわいいな〜」と映っていたようで、私の辛い気持ちは全然伝わっていなかったのも精神的に追い詰められる原因になりました。


また、先輩ママに相談しても「うちの子5歳だけど未だにトイレについてくるときあるよ〜」と、言われたり先が見えなく辛かったです。


もし後追いが辛いと思っている人が読んでくれていたら。

少し離れただけでギャーギャー泣くのは多分2ヶ月くらいです。
そして他人はたったの2ヶ月と言いますが、子供が寝ているとき以外24時間ずっとくっつかれるのは本当に本当にきついことです。
いっぱいいっぱいになるのは仕方ないことだと思います。
だけど、残念ながら経験したことがないと、近くにいる夫や友人にも辛さは半分も伝わっていないと思います。
だから、怒ったり泣いたりしてもいいのでしっかり辛いと訴えてください。

あと、うちの夫は私が辛そうにしているのは察して良かれと思って、休みの日に料理や食器洗いをしてくれていました。
でも結局その時間、私が子供の相手をすることになるので全然休めませんでした。

自分のペースで家事を進められることすら羨ましくて腹立たしくなってしまい完全に逆効果でした。

だから、夫には家事をする暇があったら子供の相手をしてほしいことをつたえ、自分のペースで動ける時間がほしいことを訴えると、全く思いもよらなかったようでびっくりしながら交代をしてくれました。


後追いされてストレスでいっぱいいっぱいだと、何に腹が立ち、何をしたいのかすら見えなくなると思うんですが、この記事を見て少しでも周りの人に協力してもらいたいことが伝わるといいなと思います。

産後シェア

私は産後3週間くらい経った頃から心身ともに不調を感じ始め、産後2ヶ月くらいで精神科にかかり産後うつの診断を受けました。

それは全く想定外の出来事ではありませんでした。
妊娠前に何年もうつに悩まされていたこと、発達障害の影響で急激な環境の変化やホルモンバランスの変化に弱いこと、親のサポートが受けられないことが重なっていたので、自分でも産後うつになるリスクは高いだろうなと思っていたからです。

それで妊娠中から市の子育て支援機関に相談をし、市のカウンセラーを紹介してもらってこまめに悩みを聞いてもらっていました。

出産直前に夫の転勤で引っ越すことになり、これはますます産後うつの危険が高まったと感じたので、引越し先の自治体でもサポートを受けられるように事前に相談をしていました。
しかし、引越し先の自治体は母親をケアする体制が手薄でカウンセラーもいなければ、話を聞いてくれる職員もいませんでした。


一応保健師さんが相談に乗ってくれるとのことでアポをとりましたが、離乳食の進め方とか、もく浴の仕方とか、子育てに関する相談には乗ってくれるものの、精神面の不安については専門外とのことで病院にかかってくださいの一点張りでした。

病院についても、引越し前の主治医に紹介状をもらい新しく探しました。しかしどこも予約でいっぱいで、最短でも予約が取れるのは3ヶ月先と言われました。その頃には出産も終えている頃で、外出できるかもわからない状態だったので結局予約もできませんでした。

自分なりに手は尽くしたのに、ほとんどサポートが受けられず、結局予想した通り産後うつの症状が出たので、悔しくてたまりませんでした。それに引越し先で誰にも手を差し伸べてもらえなかったという気持ちになり、強い孤独を感じ、よりうつに拍車がかかりました。

うつが酷くなるにつれ、子供と2人きりになると震えと過呼吸が起こるようになりました。これはもう限界だと感じ、市の保健師に電話をしました。症状が強く出ているときだけでも子供を見てもらえる機関を紹介してもらおうと思ったのです。

しかし、保健師の回答は「市の一時預かりは生後6ヶ月以上からという規定になっているので利用できません。それまでなんとか頑張ってください。」と言うものでした。

しかしこの時子供は生後2ヶ月。根性だけであと4ヶ月耐えるのは無理だと思いました。

それでしつこく食い下がったところ「どうしてもというなら児童相談所に自分で通報してください」と言われてしまいました。

こんなに危機的な状況になっても助けてもらえないんだ、と絶望的な気持ちになりました。

引越し先でも少しずつママ友ができるにつれ、色々なところから引っ越してきた人たちとも知り合うようになりました。
都会から来た人たちが口を揃えて言うのは、前に住んでいた所では産後の母親のケアがもっと充実していた、ということです。

例えば名古屋では、産後シェアという制度があるそうです。

自分の子供を連れて母親たちが集まり、そこで他人の子供も一緒に面倒を見るシステムだそうです。
ポイントはボランティアではなく料金をとるところ。その分預かる側には明確に責任が発生しますし、料金の一部を利用して保険にも入るので万が一の際も安心です。また料金を払う分、利用する側も精神的なハードルが下がります。

既存のファミリーサポートや一時預かりだと、1ヶ月単位での予約が必要なので緊急時に対応できません。手続きも煩雑で敷居が高く感じ、なかなか利用する気になれません。その点産後シェアだと、顔見知りの母親同士で必要なときに預かったり預けたりという持ちつ持たれつの関係になります。
だから母親が体調不良のとき休んだり病院にかかるために利用できるし、ちょっと子供を預けて用事を済ませたり、という使い方もできます。

それにこの制度を通して母親同士の繋がりが生まれるので、孤立してうつになるのも防げます。

また、子供を連れて仕事ができるという点でも母親が社会との繋がりを維持するのにも役立っています。

こんな風に、気軽に「ちょっと見てて」と子供を預けられる体制が整えば育児の難易度ってかなり下がると思うんです。

なかなか人には言えないだけで、私のように産後孤独で助けを求めてた人ってすごく多いんじゃないかと思います。

同じように苦しむ人を出さないために何かできることはないかな?と最近考えています。

退屈は充電完了の合図なのかもしれないという話

子供がインフルエンザにかかりました。幸いごくごく初期に受診できたので、本人は至って元気です。

しかし感染予防のため、5日間は外に出られません。来る日も来る日も子供と引きこもりでさすがに退屈でたまりませんでした。

元気なのに、と思いながら家で長い時間を過ごさざるを得ない経験を、ここ数年私は何度も経験してきました。
とくに数年前にうつになり、症状が悪化していよいよ休職を余儀なくされた時は、とくにそうでした。実際には起き上がることもままならない状態だったのですが、私はそれでも仕事に行きたくてたまりませんでした。

家で休んでいろと言われてもどう過ごしていいのかわからなかったのです。

だから無理に復職してはすぐにダメになったり、リワークプログラムに通い始めたものの午後だけのプログラムにも参加できなかったり、といった日々が2年近くも続きました。

それから認知行動療法などを経て、だんだん自分のコンディションを見つめられるようになりました。それに伴い、休職当初は認識がなかっただけで本当に心身ともにボロボロだったことに気がついていきました。そしてコンディションに合わせて無理をしないことの大切さも学びました。

それと同時に、自分では元気なつもりでも本当のところはどうなんだろう?という自信のなさが常に付きまとうようになりました。リワークプログラムも軌道に乗り、そろそろ社会復帰という段になっても、「フルタイムはやめておくべきなのではないか?」とか「精神障害者に配慮してくれる職場に絞るべきではないか?」と言う迷いが生じました。

うつのせいで思うように仕事ができなくなった頃からかれこれ3〜4年、ひたすら仕事がしたいと強く思ってきたのに、自分で自分をセーブしないといけない、と言う相反する考えに囚われ、まさに板挟み状態でした。

自分で自分の調子を把握する自信がない以上、この先もずっとうつの再発を怖れて自分をセーブしていかなければなりません。思い切り仕事をすることはもう2度とできないんだ、とやるせない気持ちになりました。


そして私は妊娠と主人の転勤をきっかけに一旦専業主婦になりましたが、やはり出産を終えても働きたいという思いは変わりませんでした。だから落ち着いたら仕事を探そう!と思う反面、「仕事を始めたらまたうつになるかもしれない」「それなら育児に専念するべきなのかな?」という迷いが、またもや生じてきました。

しかしこの数日、家に引きこもっていて、うつがひどい時とは全く違った感覚に気がつきました。それは「退屈だ」という感覚です。

今までうつで家にいた時は、食事の買い出し、公共料金の支払い、職場との連絡、などたくさんやるべきことがあるのにうまく身体が動かず、何一つ満足にできませんでした。だから、常に焦燥感が付きまとっていて退屈なんて感じる余裕がなかったのです。

しかし今は掃除洗濯物をし、子供に離乳食をあげ、料理を作り、と一通り家事育児ができた上で「退屈だ」と感じています。
退屈と感じるということはエネルギーが余っている証拠です。長い長い休養期間を経て充電が終わった証なんだと思います。

そして、以前の私は「仕事がしたい」と言う気持ちの裏で常に焦燥感と不安を抱えていました。何もせずに日々が過ぎていく焦り、自分の居場所がなくなる不安、そういった感情から逃げたくて仕事を望んでいたのです。

今もそういう感情がないわけではないですが、「仕事がしたい」と思うのは持て余したエネルギーを仕事で試したい!と言う気持ちが大きいと感じています。

自分のコンディションを正確に把握し続けるのはまだまだ難しいです。しかし、暇な時間を過ごしている時に焦燥感や不安にかられるか、退屈と感じられるか、ということは私にとって大きな指標になりそうです。

退屈と感じられたら、充電完了の合図と見て、自分のやりたいことにもチャレンジしてみようと思います。

疲れがよくわからない発達障害と専業主婦の相性

私は障害特性上、感覚が極端に敏感な部分と鈍感な部分があります。

例えば聴覚はとても敏感で、カフェでお茶をしていても両隣のテーブルの人たちの会話が一斉に聞こえてきて、2組の会話の内容まで全て把握してしまうことがあります。

しかし、気温にはとても鈍感で、一人だけ浮いてしまうほど薄着で出かけて人から「寒くないの?」と声をかけられようやく寒さに気づくこともあります。

そして、一番厄介なのは疲労に鈍感なことです。自分の調子が良いのか悪いのかを直感的に把握できません。倒れる寸前の状態なのか、疲れてはいるけれどまだ頑張れる範囲なのかを見誤ることが多く、それで新卒で入った会社でも失敗をしてしまいました。

うつになってから、私はしばらく休職はせず遅刻や欠勤をしながらもごまかしごまかし仕事を続けていました。しかし、朝気持ちが悪いのに大丈夫だろうと中途半端に出社してミスを連発して早退させられたり、少し休めば大丈夫と判断して遅刻の連絡を入れて結局出社できなかったりと、会社の人には多大な迷惑をかけました。

その後、休職して治療を行う中で自分が疲労や不調に鈍感なことに初めて気が付き、「行動記録表」と言うセルフチェックシートを自作し毎日体調チェックをするようにしました。

例えば、前日夜に抜毛をしたら5点、目が覚めてから布団を出るまで30分かかったら3点、ポテチを袋食いしたら2点、という風に自分なりに不調の時起こりやすい行動に点数をつけて並べていきます。

そして、その日の行動の合計点数を出して、20点未満なら良好、30点を超えたら危険ゾーン、と点数ごとに体調のレベル分けします。

さらに、良好な日は帰り道に遊びに行っても良い、普通の日は直帰、危険ゾーンの日は整体に行く、と取るべき行動も分けました。


このおかげで体調の乱高下を抑えることができるようになっていきました。そして、「これは体調不良?それとも怠けているだけ?」と葛藤することも少なくなりました。


しかし今、行動記録表はつけなくなりました。残念ながら、完全にうつが治ったからではありません。

専業主婦として育児に専念している今の私には、この記録表をつける意味がなくなっているからです。

まず、生活リズムの面では、寝る時間も出かける時間も子供のペース次第なので私のコンディションとリンクしません。

そして、行動記録表作ったころは「不調の波が来ても、なんとか定時に仕事に行き最低限仕事をこなすこと」を目標としていました。

仮に不調でもとりあえず会社に行って仕事ができれば、あとは整体に行くなり早く寝るなりでリカバリーすればよし!という考えに基づいて作られています。

しかし、専業主婦の仕事は明確な終わりや区切りがありません。どこまできちんとやるかなんて完全にさじ加減です。「この仕事さえ終わらせたらあとは帰って死んだように寝てよし!」と言うのではなく、「そこそこをずっとキープする」と言うことが求められます。

外で働くようなプレッシャーがないという点では楽ですが、絶対「死んだような状態」になることは許されません。


この「そこそこをキープし続ける」って実はとても難しいことだと思います。自分のコンディションを正しくウォッチしつつ、こまめにガス抜きができないといけません。これがナチュラルにできる人は本当の意味で自律的な人なんだと思います。


俗説ですが発達障害の人たちは、もともと狩猟採集民族だったという説があるそうです。狩猟のときだけ本気を出してあとはしばらくのんびり、という不規則な生活リズムが刻まれているのに対して、定型発達の人たちは農耕民族で規則正しい生活リズムが備わっていると言うのです。

さすがにそんなに大雑把な分け方ができるほど単純ではないと思うのですが、私は実際規則正しい生活リズムを維持し、自分のコンディションを一定に保つことが人より難しく感じています。

発達障害の人には結構こういう人が多いのではないでしょうか?

障害があるから、無理せず結婚して家に入ったら?なんて言われることもありますが、こういう特性があるからこそ専業主婦は向いていない気がしています。

外で働く場がある方が向いているし健康面でも良いと思うんです。(もちろん障害特性を自己理解して周りに迷惑をかけない働き方を見つける努力ができてこそですが。)

同じように障害を持つ方はどう思うでしょうか?

VERYなんて誰が読むんだろうと思っていた話

VERYというおしゃれママ雑誌があります。
私がこの雑誌の存在を初めて知ったのは、2chまとめサイトで「VERYのキャッチコピーがまるで大喜利」とネタにされていたのを見たのがきっかけでした。

確か「ゆるトラの母がいる」(ゆるいトラッドスタイルの母とウルトラの母をかけているらしい)みたいなキャッチコピーがおしゃれな表紙にデカデカと書かれていて、当時独身だった私は何だこれ、シュールだなと思っただけでした。

それからたまに病院の待合室なんかで置かれていると手に取るようになり、読んでいくと内容もなかなかパンチが効いていて、

「(子作りの計画で)2歳差兄弟派ママと3歳差兄弟派ママの徹底議論」という特集で、お受験や保活の上で一番有利な年の差や生まれ月を討論していたり、

「子連れでオープンカフェに行ったときに様になるコーディネート特集」ではパパと子供達の洋服もカフェに馴染むようおしゃれにトータルコーディネートを組んで一家でキメ決めでカフェで談笑する写真が載っていたり…なかなか斬新だと思いました。

正直、母親になってまで、おしゃれにスマートにライフスタイルをコーディネートしないといけないかな、と冷めた目で見ていました。



出産を経て、ようやく外出もできるようになってきたこの頃、さておしゃれをしようと思っても何を着ていいかわからなくなっています。

1年前は妊婦だったので、冬服は2年以上前に買ったものばかりだし、子供の世話を考えるとビジュー付きとか真っ白ニットとか避けたいものもたくさんあるので着られるものが限られます。

それで久々に雑誌を読んでみるのですが、妊娠前好きだったoggiとかBAILAは働く女性向けで、載っている服の価格帯も高過ぎて参考になりません。

じゃあmamagirlみたいなママ向け雑誌はというとカジュアルすぎる雰囲気が好みに合わないし、節約とか料理とか生活感にあふれていて夢がない。

それで久々VERYを見てみると、きれいめな服装なんだけど公園に行く時の防寒対策載っていたり、ZARAUNIQLOの特集が組まれていたり、思いの外実用的な内容になっていることに初めて気が付きました。

今月号(2月号)では

「この冬、自分をもっと愛してあげたい」

という特集が組まれていて、美容院で他人に髪を洗ってもらうのがたまらない癒し、とか、子供達のお迎え前に一人でパフェを食べる、とか、友達同士で夜飲みに行く、とか、「ママ達が自分のためにやりたいこと」が列挙されていて、思わず共感してしまいました。

VERYは、生活感にまみれて、女らしさとか大人としての自分が完全に消えてしまう感じが寂しい、と感じている母親たちに現実的な夢を見させる雑誌なんだと思います。


じゃあ本当にVERY妻のような生活感を送りたいかというと、それは違うんですけどね。

母になっても輝いている私!と張り切って生きるのもなんかこっ恥ずかしいし、そもそもこれを真似しようと思ったらお金も全然足りないし。

母になってもおしゃれな私!
母になっても仕事も家事も完璧な私!

と「母になっても」をアイデンティティにして生きるということは、結局「母であること」が最大のアイデンティティになってしまっていると思うんです。

だから私は「母なのに」「母だから」という枕詞は抜きにして、自分が好きなこと、やりたいこと、できることは見失わずにやっていきたいと思います。

服装に関しても、雑誌を見るうちに、結局みすぼらしくない格好、ダサくない格好をできれば私は満足なんだと気付きました。そんなコーディネートは無難すぎてどの雑誌を見ても見つからないと思うので、雑誌からは夢だけもらおうと思います。