頭の中が忙しい

自閉症スペクトラムと付き合いながら今日も育児をがんばる日記

後追いと毒親と

子供の後追いが今とっても激しくて、昨日は病んでいた。

「トイレでもなんでもついてくるよ」という話は聞いていたので覚悟はしていたけれど、離れるときいちいち号泣されるとは思わなかった。

それどころか、寝そべった体勢から起き上がっただけでも、顔が遠くなったといって泣く。
ちょっと身体を動かすたび泣かれると、だんだんすべての動作がとがめられているような感覚に陥り、無気力になってしまう。
やることなすこと見られて、口出しされるような感覚に、ものすごく苦しくなった。もうパンク寸前で、昨日は夜中にふらふらと散歩に出かけて少し泣いた。泣きながら、実家にいるときも同じような感覚だったことを思い出した。

私の父は、人のやることにいちいち「ちゃちゃ」を入れる人だった。
食事を一緒にすれば、「おいおい口のまわりにそんなにつけて、お前は昔から食べ方が汚かったよな」とか。
勉強をしていると、「うわー、そんな投げやりな字書くようになっちゃったのか」とか。
とにかく一瞬だってだまっていない。
一応、笑ってごかまかしたり謝ったりすると、際限なく何か言ってくるのでキリがなくなる。だから反応しなくなると、「その態度はなんだ」と怒る。

父のことは嫌いではないし、たまに顔を合わせたときくらい和やかに過ごしたい思うのに、この繰り返しだからどうも苦手意識をもってしまっていた。
それと同時に「どうして自分の父親とでさえこんなに上手くコミュニケーションがとれないんだろう」という罪悪感さえ抱いていた。

でも激しく「後追い」をするわが子を見ていて、父も同じようなものなのかもしれないと思うようになった。

私の父は幼いころ、家が商売をやっていて両親はとても忙しかった。父は今で言う「放置子」で、物心つくころにはお小遣いを持たされて外でご飯を食べにいっていたそうだ。たぶん、親にかまってもらえなかった心の傷が未だに癒えていないのだと思う。

だから父は、常に自分の方に気を引いておかないと相手に見捨てられるような気がして、不安で仕方ないから、ついつい人にちょっかいを出すのだ。

私は子供のころから、父の「さみしさ」にはなんとなく気がついていて、自分が相手しなくちゃ、なんとかしてあげなくちゃ、とずっとずっと思っていた。父の喜びそうな話題を選んだり、どれだけいじられてもへらへら笑って相手したり、色々工夫したけれど結局上手くいかなくて、無力感にさいなまれた。

でも後追い真っ最中のわが子の姿を目の前にして「何年もこんな子の相手をしていたら疲れるわ」と、冷静に思った。かわいい赤ちゃんの姿をしたわが子でさえ、四六時中「こっちをみて!」と主張してくると疲れる。ほんの数ヶ月とわかっていても相手しきれないと感じる。それを、自分の親にされたら「しんどい」と感じても仕方のないことだったんだ。

相手が子供だから、かわいそうな人だから、自分が「しんどい」と感じてはいけない、そんなルールで自分を縛っていた。それに気がつけただけでも今日はよしとしよう。