頭の中が忙しい

自閉症スペクトラムと付き合いながら今日も育児をがんばる日記

頑張りに気づいてもらえると一気に心開いちゃうよね

ここのところ私の周りでは風邪が大流行で、「子供が風邪ひいちゃって」とドタキャンされることが3日連続でありました。

そしてわが子も鼻水を垂らし始めたので小児科へ。もともと予定していた健診や皮膚科の通院も重なり、毎日黙々と病院通いをする日々が続きました。

人と話さない分、気分転換も難しくてストレスも溜まります。
そんな中、子供が秋頃から度々繰り返していた湿疹の経過を診てもらうため皮膚科に行きました。
このところ大分落ち着いてきていたのですが、先生がその状態を診て、「大分良くなってきましたね。お母さんがしっかりお薬塗ってくれていたおかげです。」と言ってくれて、思わず顔が綻びました。

「続けてお薬出しますけど、残っている分はありますか?」と聞かれ、正直お薬を切らして数日経っていたので咎められるかな…と思いながらも「いえ、全部使い切っていて…」と答えました。
すると、「こまめに塗ってあげてる証拠ですね。」と言って処方箋を出してくれました。


本当に些細な一言なんですけど、ちょっと心が折れかけていた私は報われた感じがしました。

育児って頑張ったことが結果にダイレクトに反映されないことがほとんどです。


一生懸命手作りした離乳食は食べないのに、市販のベビーフードならよく食べたり。

着替えさせた直後に、洋服を汚されたり。


赤ちゃんが思い通りにいかないのはもちろんですが、子連れ同士の約束事も結構厄介です。

一生懸命予定を合わせて、子連れでいけそうなお店や施設の下調べをして、朝から持ち物を用意したり離乳食を済ませたり。

やっとの思いで約束の時間に家を出ようとしますが、誰かしら体調不良になったり激しくぐずったりで結局予定通り集まれることなんてほとんどないです。


少しでも育児がうまく進むようにと、たくさん種を蒔いているのに全然発芽しないし、ようやく実ったところで嵐に見舞われ全滅するし、しょっちゅう心が折れそうになります。

そんな日常の中で、お医者さんから「よくやってますね。」と言われたことで、普段頑張っていたこと、コツコツやっていたことが、小さく実ったと実感できた感じがして、救われました。

そして、人が頑張って実を結んだ結果に的確に気がついて褒めることって、こんなにも人の心を励ますんだな、と気づかされました。

私はついつい頑張りやその成果を見過ごしがちだけど、他人に対しても自分に対しても、ちゃんと気づいて声をかけられるようにしていきたいものです。

究極の仮眠室

ネットニュースで、「究極の仮眠室」という記事を見つけました。

何年か前に格安高速バスが誤って道路から転落して乗客が亡くなった事故がありました。こうした事故をきっかけに、最近はドライバーの睡眠の質が安全向上に不可欠だという機運が高まっているそうです。

そんな中、運転士にきちんとした睡眠をとってもらおうと、ハウスメーカーが「究極の仮眠室」を鉄道会社の宿直室に提供した、ということが今回ニュースになっていました。

この記事を読みながら、子育て中の親にも「究極の仮眠室」を提供するサービスがあったら面白いんじゃないかと思いつきました。

子供の一時預かりをする施設と併設して仮眠室を作り、親は子供のことを気にせずいつでも仮眠を取りに来れるようにします。

できれば一時預かりのスペースとはフロアを分けて、子供の声も気配も感じずに寝ることに集中できるようにすればベストです。

また、タオルやブランケットはホテルやエステのように高級感のある無地で統一。アルマを焚いて蒸気でホットアイマスクなんかもアメニティで置いてあれば最高だと思います。

仮に既存の一時預かりに子供を預けて家で仮眠を取ろうと思っても、送り迎えでかなりの時間が取られます。それになんとなくもったいない気がしてバタバタ家事をしてしまったり、ゆっくりできないと思うんですよね。

それに、家にあるものはタオル一つとっても子供に合わせてキャラクターものだったりして、ガチャガチャ生活感が邪魔してきます。

その点、しっかり仮眠室が完備されていれば1時間でも子供を預かってもらえたら、かなり回復できるんじゃないでしょうか。

親は生後3ヶ月くらいまでは授乳の為に昼夜となく子供に起こされます。そしてその時期を乗り切っても、子供の夜泣きが始まったり、体調不良が続いたりすると、やっぱり全然ゆっくり寝ていられないという状況が起こります。

この睡眠不足こそが、産後うつ育児ノイローゼの大きな原因になっています。

でももし、週に一回でも、ほんの数時間でも、「確実に眠れる時間」が確保されていたら精神的にも体力的にもかなり楽になると思うんです。

今も、産後ヨガなどお母さんのケアをする講座はたくさんあります。また、育児は1人で抱え込まずに、旦那さんや周りの人にも助けを借りて行いましょう、とも言われます。

でも、身体のケアが必要なことも、分担が必要なことも、頭ではわかっているのになかなかうまくいきません。

それは多分、ちゃんと眠れて、頭がしっかり回転して、心が安定して、初めて取り入れる余裕が出てくることだからだと思います。

「親になったらぐっすり眠れる日なんてなくなるのよ〜」というようなことを、色んな人に言われました。主に母親を経験した人たちからです。
でも睡眠って人間の基本です。私も通ってきた道だからあなたも苦労しなさい、ではなくて、みんなが苦労したからこそ同じことを繰り返さなくて済むように母親もちゃんと眠れる仕組みを整えていけたらいいのになぁ。

R-1代を節約

今週のお題「冬の体調管理」

インフルエンザと風邪が大流行中ですね。

インフルエンザの予防に効果があると聞き、我が家ではこの冬からR-1を飲み始めました。

しかしこのR-1、地味に高い。
定価だと一本126円します。我が家では毎日夫が一本、私と子供で一本飲んでいるので、

月のR-1代が126円×2本×30日=7,560円

これでは電気代に匹敵する固定費です。

少しでも安く買える方法をと調べた結果、ドン・キホーテは税抜き99円で販売していることがわかりました。
これなら、99円×1.08×2本×30日=6,414円

結構変わってきます。
しかし、それでもヨーグルトだけのためにこの出費は大きいですし、何よりドン・キホーテで売っているのは消費期限が短いもののため買いだめできません。しょっちゅう車を出してドン・キホーテに行くのも面倒でした。

そこで、思い切ってヨーグルトメーカーを買って、R-1の自炊をすることに。

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作り方は至って簡単。牛乳にR-1を流し込んでパックごとヨーグルトメーカーにセット。8時間放置すれば牛乳が全てヨーグルトになっています。

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※ちなみに今回使ったおいしい牛乳は、蓋がペットボトルのように締められる上、ドリンクタイプのR-1の口とサイズがぴったりで注ぐのも簡単です。

これだとR-1一本と牛乳一本で900mlのヨーグルトが作れることになるので材料費は…
126円(R-1)+208円(おいしい牛乳)=334円

R-1一本には112ml入っているので…
900ml÷112ml=約8本

ということで、一本あたりの材料費は…
334円÷8本=約42円

これだと我が家の月のR-1代は、
42円×2本×30日=2,520円

にまで抑えることができます!

ヨーグルトメーカーは2600円くらいの安いやつを買ったので1ヶ月と経たず元が取れそうです。



世はミニマリストシンプルライフが流行中で、こういう単機能の道具には風当たりが強めな気がします。

「ものを増やす前に何かで代用できないか考える」というミニマリストたちの教えのもと、蒸し器は深い鍋に水を張って代用する、とか、トーストはグリルで焼く、とか私も色々試しました。

ヨーグルトはホームベーカリーでも作れるし、炊飯器でもできなくはないみたいだし、どう考えても必需品ではありません。

でも、ヨーグルトを作るのには時間がかかるので「今ヨーグルト作ってるからお米炊けないなぁ」となるのが嫌でした。また、ヨーグルトメーカーなら牛乳パックのままヨーグルトを作れるので洗い物が出ず、保存についてもパックのまま冷蔵庫に入れられるのがいいと思って今回購入を決めました。

結果、大正解だったと思います。R-1を健康維持に活用するとなると、元気なときもうつのときも淡々と毎日飲み続けないといけません。
だからなるべく作る労力を少なくして、考える工程を減らすことが必須だったからです。

発達障害という生きづらさを抱えている上、子育てでいっぱいいっぱいの日々を送る私には、手間暇かけてものをミニマルにするよりは、専用の道具に頼る方が合っていたようです。

何はともあれ、これで今年の冬は風邪知らずで乗り切れればいいなと思います。

結婚式はチケット制にしてはどうかという話

今週末は夫が結婚式に招待されているので、1人で子供を見なくてはならず、テンション低く金曜日の夜を過ごしています。

せっかくの休日が潰れるのもそうですが、ご祝儀の準備もテンションが下がります。

お金が出て行くのはお祝いごとだから我慢するとして。

子供連れで銀行に行って新札に両替するのも結構大変だし、ご祝儀袋の用意も面倒だし、PayPayかなんかで会場で払えればいいのに…なんて考えていたら「結婚式改革」の妄想が膨らみ始めました。

それで行き着いたのが「結婚式チケット制」の導入です。


予め食事の内容や余興、引き出物をプログラムとして公開して告知。
ご祝儀はなしでチケット代を設定して、チケットぴあで発売。

それを見て行きたい人が購入する。

そうすれば自ずと新郎新婦の自己満足な演出は減って、本気で参加者を楽しませる努力をすると思うんです。

例えば芸能人を余興に呼ぶ式があれば、学祭に行くような感覚で参加したくなりそうです。
あと、有名シェフの料理が食べられる式とかスイーツビュッフェつきの式なら、グルメな人たちがたくさんきそう。

引き出物が豪華な式ならふるさと納税的な感覚で行きたくなる気がします。

そこまで派手にやらなくても、例えば同級生でカラオケがめちゃくちゃうまかったあの子が余興で歌ってくれるなら、私はチケット取ってでもいきたいですし、憧れの先輩が来る式とかならチケット争奪戦も起きそうじゃないですか。

あとは、「久しぶりに同窓会したいな〜」なんてときに、同級生の結婚式をチケットぴあで検索。ちょうど良さげな時期と場所でやっている式に同級生みんなでチケットとって参加、という使い方もいいんじゃないでしょうか。

もうここまで来ると主役を祝う気ないだろとツッコまれそうですが、そもそもよっっぽど仲よかった子でもない限り、新郎新婦に興味あるのって親戚ぐらいだと思うんですよ。

自分が知らない人がやってる余興とか全然興味ないし、親への感謝も家で伝えればいいと思うし。

それだったらお祭り騒ぎしたいだけだとしても、テンション高く参加できる人に集まってもらう方がお互い幸せだと思うんですよね。

インドの富豪の結婚式なんかで、通りがかりの人もじゃんじゃん参加してくださーい、っていう派手な式をテレビでやってるのを見たことがあるんですけど、あれは嫌々参加してる人がいないから楽しそうだなーって。

まあここまで大改革が起こることは今後もなさそうですけど、せめて子供が結婚する頃にはご祝儀を電子マネーで払えるくらいに進化していたらなあ…と真剣に思います。

母と娘の距離感

色々なママたちと話していると意外と里帰り出産しなかったという人によく会います。

私自身、うつの根本原因が母との関係にあるので実家とは少し距離を置いていて、里帰りはしませんでした。

付き合いが浅いうちはみんな、お母さんもまだ仕事していて忙しいから〜とかうちは田舎だから〜と当たり障りのない理由を並べますが、関係が深まってくると実は母親との関係があまりよくないことが本当の原因だと打ち明けてくれる人がちらほら出てきます。

多いのは自分自身が長女でお母さんの愚痴を聞いて育ったというパターンです。

両親が離婚していて働きづめだった母親の愚痴を聞いてあげて育った人、キャリアウーマンだったお母さんが育児のために専業主婦になりその後悔を聞いて育った人…

私の場合は都会育ちの母親が父の地元に嫁いでうまく馴染めなかったので、その愚痴をよく聞かされていました。

事情は様々でも、みんな共通しているのは、お母さんが孤立していること、娘がそれを察して寄り添いすぎてしまったこと、だと思います。

小さい頃から自分がお母さんを支えてあげないとと思って育ち、だんだんとそれが重荷になって大人になって距離を置いた人って意外なほど多いんだなと思います。

私はうつになって自分の親が「毒親」だと思うようになり、親に対する恨みを抱くとともにそれでもまだ親が好きだという複雑な気持ちを抱えてきました。

しかし、自分が親になってみて、母親って思っていた以上に孤独だと気がつきました。

一緒に子育てをしているはずの夫には、家庭の他にも仕事という居場所があります。そして、多くの場合夫の地元や職場に合わせて住む場所も決まります。だからママ友以外の知り合いが近くにいないという母親はすごく多いです。

それまで築いてきた人間関係もキャリアも寸断されて、子育てに追われるという状況ではストレスを抱えてしまうのは仕方のないことだったんだな、と自分の母親に対しても思うようになりました。

そして、一番近くにいる長女に対して愚痴の相手を求めてしまったんだろうし、「やりがい」も子育てに集中して長女を優秀な作品として仕上げたいと過度なプレッシャーをかけてしまったんだろうなと想像しています。

そうなってくると、長女はもはや自分の身体の一部みたいに思えてくるのかもしれません。

そういう距離感のなさがしんどくて、出産のときも母親を頼れなくなる人が多いのではないでしょうか。

毒親」という言葉が浸透し、母の娘が適度な距離感を持たないといけない、という認識も広まってきていると思います。

しかし、まだまだ母親側が気をつけて子育てするとか、娘側が母親と距離をとるとか、当事者だけの努力で改善するべき問題と思われがちです。

でも、根本的に子育てをする母親がが孤立しない仕組み作りが必要なんじゃないかと思うんです。

子育てしながら働ける仕組み、地域の人と関わりながらみんなで子育てする仕組み、そういうのが整えば「毒親問題」も自然と解消していくんじゃないかなと思います。

やりがいの分散

私は妊娠と夫の転勤を機に退職をし専業主婦になって2年近く経ちました。

もともと私は専業主婦になる気なんてさらさらなく、落ち着いたら再就職しようと思っていたのですが現実は厳しいものがありました。

まずは厳しい保育園の入園。そして入園できても、結局送り迎えや家での家事育児は母親がメインになりがちで、その分仕事では時間や体力をセーブしておかなければなりません。
また夫の転勤がいつあるかわからないという点でも正社員での採用はかなり厳しいと思います。

そう考えると、私は仕事を選べる立場ではなく、やりがいとかこれまでのキャリアとの連続性なんて求められないだろうと思います。

妊娠前までは、総合職として男性と同じようにバリバリ働ける立場にいたのに、立場が急転落し悔しさでいっぱいでした。

こんなことなら受験勉強や就活を頑張る必要なんてなかった、すべて無駄だったとまで思いました。


最近、勝間和代さんの『会社に人生を預けるな』という本を読んでいます。
一見、起業しろ!みたいなことが書いてある過激で意識高い系な本のようですが、内容は「リスクの測り方と取り方」についての本です。

この中で、勝間さんは「やりがい」も資産と同じように分散して持っていくべきだと述べています。

バリバリ働いてきた人が定年退職した途端やりがいを見失ってボケてしまったり、子育てを生きがいにしてきた人が子供が巣立った途端うつになってしまう…というようなことがありますが、それはやりがいを一極集中しすぎたための結果と言えます。

私の場合も受験勉強や会社の仕事で成功することが強い生きがいでした。そしてそれ以外の時間は単なる息抜きに過ぎませんでした。
そのために、「バリバリ働けない」という状況に過度に絶望的な気持ちになっていました。

今、私の関心事の一つが産後のお母さんたちのケアです。私自身が産後うつに苦しんだ経験から何かできないかなと考えていて、色々なサービスを事業にする妄想をよくしています。

しかし、実現するのは簡単ではないし、正社員で働いて得られる給料ほどの利益を得るのはとても難しいでしょう。

だから所詮は暇な主婦の趣味みたいなもんにしかならない、馬鹿馬鹿しい、と思ってきました。

だけど、例えば利益があまり出なくても、ライフワークとして事業をやっていければ、「やりがい」の一つにはなるはずです。

そして仕事の面であまり「やりがい」を得られなくても、生活全体でみると収入とやりがいは合格ラインまで持っていけそうな気がします。

私はこれまで自分の学校とか会社とか家族とか、一つの所属先にすべてを求めすぎていて、完璧に満足できる居場所がみつからないと悩んでいたんだと思います。

それに気がついた今、就職先にしろライフワークにしろ完璧を求めず少しずつやりたいことに近づく手段として選んでいけそうだなと思います。

躁状態

実は、ここ10日くらい躁状態が続いていました。
きっかけは子供がインフルエンザにかかったことで、病院で診断が告げられた瞬間「しっかりしなきゃ!」とスイッチが入った感覚がありました。

子供の看病に加え、自分までインフルエンザにかかったら大変だという緊張感、周囲の人への連絡などやらなければやらないこと、が重なって脳が覚醒状態になり、異常に元気な日が続きました。

子供の体調が治ってからもなかなか覚醒状態は覚めませんでした。
本屋さんに行けば読みたい本がどんどんみつかります。
家事もテキパキとこなし、料理なんて品数を作りすぎてしまうほどでした。
アイディアもバンバン浮かび、まさに「頭の中が忙しい」状態でした。

また、普段の私は人付き合いが苦手で、自分から遊びに誘うということはほぼありません。
しかし最近、たまたま支援センターで出会った人に気の合いそうな人がいて、「また会いたいな〜」と思いながらもいつものようにアクションが起こせずいたのですが、躁状態に入ったことで「思い切って連絡してみようかな」と言う気持ちがふつふつと湧き上がりついに自分からお茶に誘いました。

また、買い物についても普段はかなり慎重で、必需品以外は欲しいと思ってもなかなか買うには至らないのですが、この時はずっと欲しかったキッチングッズをさっさとポチッてしまいました。

スイッチが入った瞬間から、自分が躁状態だという自覚はありました。
だから人を誘う時も、買い物をする時も、これは躁状態がそうさせているのかもしれない、という認識はありました。

それでも、普段臆病すぎてやりたいのにできないことを躁の勢いを借りてやってみよう、という気持ちが強く、結局実行に移してしまいました。

結果として、お茶に誘った方とは仲良くなれたし、キッチングッズも1000円にも満たないもので金銭的な痛手にはならなかった上、とても役立っています。

だから後悔はありません。むしろ勢いで行動してよかったとさえ思います。

しかし、躁状態が落ち着いた今振り返って、一抹の虚しさも残ります。

以前の記事で、「やりたいことをやる勇気を持つ」という今年の目標を掲げました。

普段の私は、欲しいと思うものがあっても、人から変だと言われたらどうしよう、もっといいものがあったらどうしよう、もっと安く手に入る方法があったらどうしよう、と様々なことを恐れて手に入れる勇気が出ません。

また、自分がやりたいと言ってやったことには責任が発生すると思うと、それくらいなら人のやりたいことを優先していた方が気が楽だからと、やりたいことを口にすらしないことも多いです。

しかしそれではいつまで経っても自分のしたいことなんてできないと気がつき、今年は勇気を持って行動したいなと思っていました。

でも、それがようやくできたかと思えば、病的な状態によるものだったのかと虚しく思えてしまったのです。

幸い、「躁状態かもしれない」と主治医に相談したことをきっかけに、異常な覚醒状態は切れました。
気力で動いていた分、疲労が溜まっていたようで、今は軽い鬱状態ですが動けないほどではないのでホッとしています。

私の場合、自分で自分の躁状態に気づくことができるので暴走を防ぐ意味でいいのかもしれません。しかし自覚があるのに止められないのはもどかしいし、この後絶対鬱状態になるんだよなぁ…と思いながら元気に過ごすのもしんどいです。


そして、普段抑圧している自分の気持ちをようやく行動に移せたとしても、それは単に病気の症状がそうさせているんだと思うとやるせなくなります。


なんにせよ、自分から声をかけて友達ができたこと、お気に入りのキッチングッズが加わったことには変わりはないのでよしとして、しばらく疲労回復に努めようと思います。